「見え透いた筋書きだな!」  『天下の若君漫遊記』

前編と後編の2部作の最後で、主人公の明智三郎が、悪人の石黒達也にいう台詞だが、映画全体が「まことに見え透いた筋書き」のオンパレード。
1955年、日活で公開された時代劇だが、富士映画の製作になっている。
富士映画とは、元は東京発声映画のあったスタジオを本拠にした新東宝の傍系会社で、世田谷区桜で娯楽映画を作っていた。
ここは後に大蔵映画になってピンク映画の聖地にもなったが、今はオークランドになっている。

話は、徳川家のご落胤と言われる「松平長七郎」の漫遊もので、民俗学的に言えば貴種流離譚である。
浪人の千秋実と共に諸国を漫遊し、田舎のヤクザ(親分は分からないが、一の子分は安倍徹)を懲らしめ、お千代の高友子と共に失踪した花火師の父を捜しに高倉藩に行く。
花火師と言うとすぐに想像がつくだろうが、そこでは島原の乱の残党の切支丹や、藩の重鎮で悪人の石黒達也、永田靖らが徳川への反乱を起こすため、農民らを使って爆弾を密かに製造している。
大きな回り舞台のような回転する台を農民が取りついて人力で動かし、木製の歯車で動力として伝えて爆弾を製造しているらしい。

藩主は市川男女之介だが病弱のため、側室の宮城千賀子と怪しげな妖術師三島雅夫の言いなりになっている。
三島や石黒、永田らの悪人振りの怪演が笑えるが、一番すごかったのは、明智と高、千秋らが高倉藩に入ろうとすると関所ができている。
すると、わずか10メートルくらいの脇に間道があり、そこから3人は抜けてしまうのだ!
ともかく「この程度の内容で映画館で上映していたの」と言う程度の作品だが、さすが監督は『狐がくれた赤ん坊』の丸根賛太郎なので、明智と千秋のやり取りなどは、とぼけていて結構面白い。

直後に新東宝時代劇のスター明智十三郎となる明智だが、とぼけた味があって、そう悪くない。
撮影が岡崎宏三で、画面は美しく、撮影助手が黒田清巳というのが興味深い。
要は、この映画等は、日活の製作再開で、駄目になった左翼独立プロ映画のスタッフの救済策でもあったのだろう。
また、製作が今村貞雄で、製作主任が関孝二なのも注目される。
今村貞雄は、目黒にあったラジオ映画スタジオの代表者であり、関孝二は、1960年代以降は、ピンク映画界で活躍されるからだ。
因みに主演女優の高友子は、製作の富士映画の役員の大蔵満彦氏と結婚される。
衛生劇場

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コメント

  1. モグラ より:

    「見え透いた筋書き」は当然ですね。
    何しろ水戸黄門のパクりで、勧善懲悪時代劇ですからね。
    それとテレビで毎週やっていたので、お子ちゃま向きでもあったのです。
    当時お子ちゃまだった私は毎週心ときめかして見ていました。
    面白かったけどな・・・

  2. より:

    勧善懲悪、正義がマンネリズムにならないのは、それを望み、好感を持って支持する社会体制擁護の本能があるからでしょう。体制とは、その維持と存続によってこそ、正義とされ、多数の人の生活や経済を守るのですから、分かり易い善悪、というのは、これからも王道として生き残って行って欲しいと思います。

    歴史上の事実としての善悪の評価というのは、真実の客観的情報や、数多の学問を繋ぐ論評から決められたものだと思いますので、明智光秀までをも、主人公にしてしまうのはどうかと思います。主君殺し、といっても、その後の日本史に与えた影響を考えれば、ただの悪人とも言えないのが、光秀だとは思いますが。水戸黄門然り、テレビ時代劇が個人的に合わないのは、政治家が出て来ないからかも知れません。それによって分かり易くは成っても、善悪や、それを超える大義といった、概念がスケールダウンしてしまうのではないでしょうか。

    • 時代劇は、江戸時代のことではありません。ここで何度も書いていますが、時代劇は伊藤大輔先生らによってサイレントの末期に作られたもので、これは当時の社会への批判なのです。
      大正末から昭和初期のサイレント映画での現実批判が、警察で取り締まられたとき、「時代をずらして作られたのが時代劇なので、悪徳商人と悪代官は、資本家と警察のことですが、これは現在のことではありません」という言い訳です。江戸時代の歌舞伎も同じで、「忠臣蔵」も室町時代のことになっているのです。

      これテレビで連続的に放映していなかったと思いますが。
      同じようなシリーズがあったのでしょうか、富士映画で。

      勧善懲悪も、徳川幕府への作者たちの言い訳だと、昔武智鉄二が書いていたと思いますが。

  3. より:

    多くの時代劇が、江戸時代である事は、日本の今の精神的な拠り所が、その時代なのですが、批評を好むメディアの性格上、本気で江戸時代への回帰を訴えているわけではないですね。黄金時代に比して、今の江戸時代時代劇は、人気も低迷し、主流派ではないのですが、勧善懲悪に代わるものとは、歴史修正でしょうね。

    一度、歴史や戦争の結果などによって、定まった善悪を塗り替える、というのは、日本でも保守派が目指していますが、韓国はもっと賢明なやり方をしていると思います。それは、韓流メディアであって、国家主義的になればなるほどに、正しい歴史考証や、史実の再現という事からは、遠ざかると思いますね。

    韓流メディアもまた、一国史から抜け出して、国際主義へ、変革の時を迎えている、と思います。それが、儒教に振れると、中国寄りになってしまうのですが。

    連続ものとして、記憶に残っているという事は、それだけインパクトが強かったのではないでしょうかね。

  4. モグラ より:

    >>「忠臣蔵」も室町時代のことになっているのです<<
    これは目からウロコですね。
    庶民や芸術家たちの反骨たくましい所ですか!

    昭和が一番輝いていた時代、30年代。
    いつも助さん格さんのようなお供を従え、諸国漫遊する『若君漫遊記』をテレビで見ていました。まさかソレを間違えるほど私はボケていないつもりですが!
    ただし毎週だったかどうかは定かではありません。(やっぱりボケているかな?)

  5. 『若君漫遊記』はテレビでもあったようですが、連続ではなかったみたいですね。