河津桜の繁栄の理由は

伊豆の河津桜をバスツアーで見に行った。実は、15年くらい前に、ここには職場の旅行で行ったことがあるのだが、当時は大したものではなかった。
それは、当時いた緑区総務課の旅行で、その時は課で異動する者が沢山いたので、宴会ではなく旅行にしようとして鉄道で行ったのだ。
河津桜が、目的の一つだったが、ワニとバナナ園なども寄り、それほどの行事ではなかったが、この数年の繁盛ぶりはすごいようだ。
この日も大変な人出で、例によって中国人や韓国の人も多く見られた。

          
            

その理由は何か考えたが、公園の記念碑で、その意味が分かった。

区画整理組合の事業の記念碑で、恐らく農地だったところを組合員同士で供出して広い道路、公園、大規模な駐車場、交流センターなどを作ったのだと思う。静岡だけに鈴木姓が多い。ここに来る前に寄った小田原のかまぼこの鈴廣は、鈴木廣吉が創業者である。
閣僚への寄付で問題になった鈴与も、静岡の運輸輸送の大企業で、ここも多分鈴木なんとかさんが創業者なのだと思う。
伊豆急行だけでは、輸送人員に限界があり、自家用車、バスなどを呼び込むための駐車場等の施設を整備したたことが現在に至ったのだろうと思う。

河津桜は、大島桜と「かんひ桜」が自然交配して出来たものだそうで、その原木もあるが、飯田家で少し遠かったので、行かずに済ました。
下の写真は、もう1本の原木とのことだ。

           

帰りは、大渋滞で、予定よりも2時間遅れて横浜に戻る。
このようなハプニングも旅行の楽しみであり、私はまったく気にならない。
そろそろ春も近いようだ。

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