『安倍公房とわたし』 山口果林 講談社

2年前に出されて非常に評判になったが、ある本をアマゾンで購入していると、格安の古本があったので買う。

内容は非常に面白く、スキャンダルの部分を除いても、十分に読むに値する内容である。

ただ、山口果林と24歳も上の安倍公房が、果林にいきなり惚れてしまったのかは、この本からは分からない。

果林との情事が問題になっていた1974年頃、安倍公房の妻で美術家の安倍直知は、果林に向かって「公房は未だに週2回私とセックスしています」と言ったそうなのだから、妻との関係が冷えていたというような一般的な不倫関係ではないだろう。

二人が一緒になってしまった理由はただ一つ、二人とも非常に幼児性が強い人間だったと言うことだと私は思う。

                                                 

安倍は、あらゆる物に常に強い拘りを持っていたそうだ。自動車から食べ物、ゲーム、玩具、手品道具、ワープロ、シンセサイザーなど、いつも何か物に拘っていないと済まない人間だったようだ。

それは、彼にすぐに合わせられたのだから、山口果林も幼児性の強い女性だったようだ。

さて、この本を読んで一番驚いたのは、山口果林が1947年生まれで、完全に私と同学年だったことだ。

NHKの連続ドラマ『繭子ひとり』で見た時から、私はずっと年上の女性だと思っていた。

もちろん、それはすでに桐朋学園の時代から安倍公房と関係があり、他の関係者にも揉まれていたので、彼女が異常に大人びていたことが理由だろう。

安倍公房についていえば、私は高校時代は彼の劇を含めて結構読んでいたが、大学2年くらいからはほとんど読まなくなった。

それは、彼の書く世界が、ドライで乾いていることもあったが、どこかで嘘をついているような、「彼は本当のことを言っていないな」と感じられたからだと今にしてみれば思う。

1964年の「新日本文学派」の除名の時まで、彼は日本共産党員であったはずで、あのような小説、劇、シナリオを書く者が共産党員と言うのがまず理解できなかった。

どこかで嘘をついている気がしたのだ。事実、彼は山口果林とのことを公に知られることをいつも嫌い、秘密の逢瀬を繰り返していたそうだ。

その点で言えば、吉本隆明の方がはるかに正直で、嘘はいっていないように見えたのである。

安倍公房は、癌に冒され、薬の処置もあり、晩年はかなり、衰弱していた状態だったようだ。

そして、1993年1月、安倍公房は、山口果林が住んでいたマンションで彼女の不在中に倒れ、病院に搬送されてすぐに死んでしまう。

こうしてノーベル文学賞は受賞できずに終わったのである。

別の観点で見れば、1967年にまったく予期せぬ形で川端康成が、ノーベル文学賞を貰ったために安倍公房と三島由紀夫の二人の文学者の死を招いたとも言えなくもないだろう。

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