『SAYURI』

まあまあではないか、というのが第一印象である。勿論、おかしなところはいくつかある。主人公さゆりが披露する踊りが、まるでダンサーの長嶺やす子の踊りみたいに奇妙で、戦後、さゆりらと米軍人が温泉で混浴するあたりは変だが、まあ許せるのではないか。

日本映画だって、熊井啓の『天平の甍』では、田村高広の鑑真和上が日本語を話すし、『敦煌』などは、全員中国人なのに日本語劇になっている。あの映画には馬がやたらに出てくるが、当時中国の馬はもっと小さなロバのような馬だったそうだが、それでは映像にならないと現在の馬を使ったのだそうだ。

この話の、さゆりが幼少のとき会った渡辺兼をずっと慕ってきた、というのは『源氏物語』の変形である。
日本人は、そうした大変奥ゆかしい性格なのだ、というのがアメリカ人の見る日本人観であると思われた。

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