『昭和天皇の終戦史』 吉田 裕 岩波新書

この本は、昭和天皇の侍従次長だった木下道雄ら5人に向かって昭和天皇が語った『昭和天皇独白録』に基づき、1944年の末頃から、1946年の東京裁判が進行して、天皇免責が決まるまでの、宮中や重臣、軍部、政府の動きを詳細に追ったもので、非常に面白い。

この独白録は、当時進行しつつあった東京裁判への資料として作成されたようだが、GHQに提出されたかは不明である。

また、昭和天皇が持っていた二つの側面、国務の最高責任者であると同時に統帥の総攬者、大元帥閣下の面も非常に良くわかる。

戦時中の宮中は、昭和天皇、内大臣木戸幸一、そして侯爵近衛文麿の3人の間の関係で事は決まっていたようだ。そして、太平洋戦争の開戦時には、近衛はどちらかと言えば反対の立場で、それに対して天皇と木戸幸一は、もう仕方ないと決意していた。この辺が、天皇の近衛に対する不信と東条英機への信頼が生まれたようだ。そして、1945年1月、いよいよ戦局が悪化した時、天皇は重臣たちを呼びヒアリングしているが、同時期に近衛は、天皇退位の工作をしていたと言う。その訳は、このように敗北必至の中では、天皇への批判、怨嗟の声が上がって来て、それは天皇制の否定、打倒になると悲観していたからだそうだ。

彼が、4月頃、側近の富田健治に語ったところでは、連合艦隊の旗艦に乗ってもらい、そこで艦と運命を共にするのが一番とも思っていたらしい。この人の言動は到底容易には信じられないのだが、近衛上奏文を読んでも、異常なほどの危機意識、被害者意識があって驚かされるが。

いろいろと興味深い事実が出てくるが、有力政治家への見方が非常に興味深い。昭和天皇が、嫌った人物は、田中義一、宇垣一成、小磯国明と言うのが面白い。彼らは軍人出身だが、大物政治家でもあった。彼らを昭和天皇が嫌ったと言うのは、非常に興味深いことである。私の考えでは、彼らは軍務、軍政、戦闘の経験があるので、普通の政治家のような軍事に疎い連中とは異なり、天皇の「統帥権」を冒すような恐れがあったからではないかと思う。

その点、東条英機は、非常に真面目で、また天皇の言うことをいちいち聞き、また報告する、ある意味で「スケール」の小さい御しやすい男だったので、天皇のお気に入りになったのだろうと思われる。

東京裁判が終わって、刑のために巣鴨に木戸幸一が収容されている1952年の、日本が独立した時、木戸は、昭和天皇が退位して位を譲った方が良いと思ったことも書かれている。

昭和天皇は、国務の責任者としては、大臣等の輔弼する者の意見に原則的に従って開戦に至ったわけだが、統帥権の総攬者としては、結果として敗戦に至ったのだから、皇祖皇宗に対して大いに責任があると言うのが木戸幸一の考えだった。

どちらかと言えば、私もそれに賛成で、天皇が責任を取らなかったので、戦後の日本は、植木等が歌ったように「無責任時代」になってしまったのだから。

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