『昭和天皇』 古川隆久 中公新書

昭和天皇をその誕生から、死までを記述したもの。著者の古川先生は、今は保守派となってしまった伊藤隆の弟子なので、内容について危惧を抱いたが、きわめて公平に書いてある。

                   

ただし、あたうる限り、天皇を平和主義で、欧米志向の人間としているが、果たしてその実像はどうだろうか。

ただ、良く知られているように、近衛文麿が昭和天皇の穏健さ、科学的で精神的志向が全くないことを批難しているのに加えて、内大臣木戸幸一も、昭和天皇の「臆病さ」を指摘しているので、それは間違いではなかったのだと思う。

私が、一番危惧していたのは、昭和天皇は、米英との太平洋戦争に反対だっのはそうだが、果たして中国との戦争についてはどう考えていたのか、だったが、やはり積極的ではなかったようだ。

では、なぜ昭和天皇は、満州事変から始まる中国との戦争、そして太平洋戦争を防げなかったのか、となるが、それは帝国憲法でも制定されていた「立憲主義」の枠内で行動しようとしていたからだ。

それは、戦争への道を防ぎ得なかった言い訳のようにも見えるが、近衛や木戸、さらに内閣や陸海軍等のすべてが、戦争への道を希望している時、反対していくのは大変なことだったと思う。

1938年に、朝鮮でソ連軍との衝突事件の張鼓峰事件が起きた時、最後の元老西園寺公望は、原田熊雄に

「国民の知識が非常に低いし、国民が低調過ぎる。・・・これも明治以来の教育の方針が悪かったんだな」と憂慮して言ったという。

自由民権運動の拡大を恐れるあまり、自主的に政治や社会について国民が考える教育は一切行われず、考える力を奪っていたことが一番の原因だと思う。

果たして、現在はどうだろうか。

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コメント

  1. Unknown より:

    Unknown
    そうですね。 旧憲法下でも新憲法になっても立憲主義のもとで行為する天皇であることを心がけていらっしゃったと推測されますね。そして、それが今上天皇陛下にも受け継がれていると思われます。 そのことを誤解して、天皇も日本国憲法改正に反対であるという人がいますが、まったく無礼な馬鹿者ですね。