『秋日和』

あまり重要視していなかった小津安二郎作品だが、あらためて見てみると結構良くできていて、松竹ヌーベルバークの最盛期の1960年秋なので、若い世代に結構気を使って映画を作っているなと感じた。

                         

東宝から借りて来た司葉子が、佐田啓二と結婚する話だが、小津安二郎の「結婚譚」映画で、女性の相手役がきちんと出てきて、結婚式の場面もあるのは、実はこれだけなのである。『晩春』と『秋刀魚の味』では、原節子と岩下志麻の花嫁姿はあるが、その相手は出てこない。『彼岸花』の有馬稲子の相手は佐田啓二だが、結婚式の花婿・花嫁の映像は出てこない。『麦秋』の原節子の相手は日本柳寛だが、結婚式はまったくない。『小早川家の秋』でも、司葉子は宝田明と結婚するらしいと暗示されるだけである。このように結婚式等が具体的に出てこないのはどうしてなのだろうか。

それは、小津安二郎が、人生で重大なことは、生まれ、育ち、愛する人を得て結婚し、子を作り育てる、と言った人間の営みであり、その過程に起きるドラマなど本質的ではないと思っていたからだと私は思う。だからこそ世界中に評価される普遍性を得ているのだと思います。

と言っても、結婚しない生き方もあるとか、同性婚もあると言われても困るのです。

これはあくまでも大多数の人たちのことなのですから。

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