川越には名画座があった

バスツアーで、川越と富岡に行った。富岡は言うまでもなく製糸場で世界遺産である。

川越では、渡された地図にスカラ座と言う名があったので、見に行くと現役の名画座だった。町の裏の奥のようなところにあるので聞くと、

「元はこのあたりが中心だったが、鉄道駅が離れたところにできて町の繁華街が移ったので、裏町的になった」とのこと。

                                       

川越は、徳川幕府の北の守りという幕府の中心だったが、維新の動乱の際は、うまく立ち回って戦乱を逃れたので、江戸以来の街並みが残っていると蔵の通りの老舗の薬種商店で聞く。

やはり、戦争はすべての文化の破壊である。

因みに、蔵の街並みは、明治での大火以後に造られたものだそうだ。

午後は、高速をさらに走って群馬の富岡製糸場へ。

明治の初期にこれだけの巨大な施設を作ったのは凄いと思う。

渋沢栄一など、薩長側ではなく、幕府側の人間が係わっているのが興味深い。

国が作った後に払い下げられ、三井、原合名を経て片倉工業の工場になる。片倉ハドソンの靴下の片倉である。

フランス人頭領が住んだコロニアル様式の邸宅と小津安二郎映画風雨の赤の郵便ポストを撮っておく。

                   

富岡銀座通りには映画館があったらしいが、その場所は駐車場になっていた。

まあ、そんなものだろう。

                

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