『兄とその妹』

1939年の松竹映画、監督の島津保次郎は、これの後、東宝に移籍する。

東亜鋼管という会社の本社の社員佐分利信と妹の桑野通子の話で、佐分利の妻は三宅邦子、これが大変に西欧的なのである。

                         

桑野は、外国企業日本法人支配人菅井一郎の秘書兼タイピストなのだが、菅井の日本語をそのままタイプできる女性。当時、女学校出で、こんなに英語に堪能が女性がいたかなと思うが、映画なので良いだろう。まるで最所フミさんみたいだが、因みに彼女は鮎川信夫と結婚していたのであるが。

佐分利の部署はよくわからいが、調査課のようなところらしい。

当時の日本は「レッセ・フェール」の自由競争で、戦後のような社会的保障はなく、特にホワイトカラーは、組合もなく社内の出世争いは激烈だった。

佐分利は、囲碁が得意で、監査役坂本武に気に入られているので、それをやっかむ連中がいる。扇動するのが職員の河村黎吉で、その他経理係長奈良真養など。

桑野を菅井の知人でオックスフォード大出のブローカー上原兼が気に入り、叔父の坂本を通じて、求婚してくる。

それも社の給仕の口から洩れて、佐分利は、妹も使って出世しようとしていると非難される。

給仕というのも、この時代のもので、戦後はほとんど見られなくなった制度である。大抵は、定時制の中学(今の中学ではなく高校に相当)に行っていて、昼は会社で雑用をこなし、夜に学校に行き、卒業すると正社員に採用するというものである。

佐分利、三宅、桑野の3人が箱根にハイキングに行った時、佐分利は、桑野に上原からの求婚を話す。結局桑野は断るが、それは佐分利の会社での立場を考慮した選択だった。

だが、人事異動で佐分利は平社員から経理係長になり、自分の座を追われた奈良は、誤解して佐分利に暴力を振い、佐分利は会社に辞表を出してしまう。

そして、友人の笠智衆が独立して始めた会社を手伝うことになり、彼と桑野通子は、大陸へとDC3機で、羽田から飛び立つところでエンドマーク。

キネマ旬報4位と高評価で、後の小津安二郎の名作『戸田家の兄妹』に似ていると思うに違いない。

だが、この島津作品が公開された時は、中国にいて見ていないのである。

勿論、大船の連中とは頻繁に文通していたので、話と評判は小津も知っていたと思うが。

この筋は、松竹の同族企業的体質から近代企業の東宝に移籍した島津自身のことのようにも思えるが。

だが、島津の東宝への移籍の理由は、彼にはお妾さんがいて、そのお手当てのためだったと言われているのだが。

NHKBS

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