『お吟さま』

1987年、宝塚映画で作られたが、実際上は松竹京都や大映京都も使って撮影されたそうだ。

美術の木村威夫さんの本によれば、予算が少なくて大変だったとのことだが、今見れば結構贅沢に作っているように見える。特に凄いのが衣装で、三越の協力とのことで、お吟の中野良子がとっかえひっえ着替える着物は本物らしく、大変美しくみえる。

撮影は、岡崎宏三で、これまた職人技を見せている。また、音楽は伊福部昭先生で、中村吉右衛門の高山右近らが歌い、演奏するキリシタン音楽は、きちんと復元したとのこと。

                                                        

全体としてみれば、意外にも面白い作品だった。

北陸攻めから高槻の城に戻った高山右近は、熱心なキリスト教徒で、慈悲深く領民からも慕われている。そこに幼馴染で、今は堺の千利休の養女になったお吟がやってくる。

大人になって美しい吟に、右近も心惹かれ、吟は幼いときから右近に嫁ごうとしていたが、右近はすでに妻子のある身で、吟の申し出は拒絶される。

キリシタンンを心よく思わない秀吉(三船敏郎)の意思で、右近は根拠地の高槻から明石に国替えさせられる。そのとき、領民が彼を慕って、右近を囲むが、ここは溝口健二の『山椒太夫』の冒頭で、清水將夫の安寿と厨子王の父が左遷される場面を思い起こさせる。

脚本は溝口のシナリオを書いた依田義賢なので、そう思わせるのだろうが、1962年に田中絹代監督で作られた有馬稲子主演の『お吟さま』も、脚本は溝口の弟子の一人の成沢昌成だったのは、なにかの因縁なのだろうか。

中野の吟は、ある意味でストーカー的でもあるが、『風と共に去りぬ』のスカーレットといい、メロドラマの主人公の女性には、こうした性格付けのものもあるということだろうか。

中盤から作品は、秀吉と志村喬の千利休との対決になり、朝鮮攻めを企図し、明までも攻めようとの妄想を抱く好戦主義者の秀吉と平和を願う利休との対決になっていく。

小田原城での北条攻めの茶席で、秀吉の好戦主義を諫めた利休の高弟の山上宗二の中村敦夫は、即座に殺されてしまう。

吟は、右近を追って九州にまで行くが、最後堺に戻ったとき、父と共に秀吉から死の命令が来て屋敷は包囲され、吟は武士の娘らしく、一刺しで胸を突いて自害する。

秀吉に追放されながら、秀吉軍側で密かに大活躍した右近は、徳川時代になり日本を追放されてマニラで死んだという。

熊井啓は、好きになれない監督だが、残した作品のレベㇽが高いことは認めなくてはならないだろう。

日活の後、独立プロで多数の作品を作った力は確かにすごい。

フィルムセンター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする