『花の慕情』

1958年、当時東宝のトップ・スターだった司葉子と宝田明の共演もの。

監督は、名作『その場に女ありて』の鈴木英夫で、これも女性の自立を謳った秀作である。

                   

司は、華道の流派・新葉流の家元の長女で、家元亡き後流派の中心として大活躍している。

彼女には大学生の弟がいたが、友人と山に行って雪崩で死んでしまう。

友人の兄は宝田で、親譲りの歯科医をやっていて、この山登りと遭難を機に、二人は知り合う。

だが、司の母の杉村春子も、宝田の母・長岡輝子も、互いを憎んでいて、二人の仲を許さない。この二人の大女優の対決はすごい。後に、文学座の分裂劇では、実際に対立する二大女優の予備戦にも見えてくる。最初分からなかったが、杉村は先代家元の二度目の妻で、司は最初の妻の子で、山で死んだ男が、杉村との間の子であるわけだ。

司には、青山の花屋で、先代の時から流派を応援してきて、今は司に言い寄っている千秋実もいる。

メロドラマには、上手い悪役が必要だが、ここでは杉村、長岡、千秋と芝居の上手い悪役がいるので、二人の悲劇は高まる。

二人の味方は、宝田の妹と大学時代の友人だが、これが三井美奈と三島耕という下手な役者なので、非常に心もとなく、この辺も上手い。

一番の味方は、女中の浦辺粂子である。

ついに最後、彼女に置手紙をして、司は流派家元の座を捨てて一人で旅に出てしまう。

そして、田舎の旅館で部屋の花を生ける職をしているとき、女中が「ある方がお呼びです」と言ってくる。

部屋に行くと有名な評論家の中村伸郎で、「これだけの花を活けられる人は」と言い、

「愛があってこそ、花だ」と励まされる。

その旅館に行く道をなぜか宝田上ってきて、二人は抱き合ってエンドマーク。

音楽が、芥川也寸志で、この時期に、こうした「軟弱なメロドラマ」の音楽は珍しいと思う。

三島耕の妻が加藤治子など、ほとんど文学座映画だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷

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コメント

  1. drunkcat より:

    ブログへのコメント
    気づくの遅れ失礼しました。
    著作『小津安二郎の悔恨』をお贈りいただけるとの事、大変ありがたいですが自分は昔から小津が苦手でブログにも書きましたがいま一つ理解できません。
    はたして頂いていいものかどうか・・・とりあえず、住所下記しておきます。
    話は変わりますが現在横浜美術館で開催中の村上隆のコレクション展見に行きたいと思ってます。
    予定は未定ですが(持病の花粉症始まり天気次第の日和見)
    もし都合が合えば横浜辺りで久しぶりに一献傾けられたら幸いです。

    259-1133 伊勢原市東大竹1359-18 

  2. 今日送りました
    今日、本とDVDを送りましたので、よろしく。
    飲む日は、また別にご相談しましょう。