時代劇は現代劇である

先日、東京新聞の夕刊に上田秀人という人が、「時代劇は伝統文化」と書いていたが、大きな誤りである。

時代劇の始りについては、諸説あるが、一応大正12年に松竹蒲田撮影所で作られた野村芳亭監督、伊藤大輔脚本の『女と海賊』の時というのが一般的であろう。

              

伊藤大輔の代表作である『忠治旅日記』等で描かれるのは、権力から追われた「反体制的」な主人公が権力と戦うというものである。

だが、本当に江戸時代に、多くの時代劇の筋書にあるような、悪徳商人、幕府の役人らに抑圧される貧乏な正義の武士などがいただろうか。

もちろん、個別には問題のある藩主や代官もいたに違いない。

だが、徳川幕府は、治世者に対して極めて厳しく、庶民に対して問題を起こした為政者を多くは処罰している。

でなければ、徳川幕府が260年も続いたはずはないのである。徳川幕府が、倒れたのは、ペリー来航以後の外圧的政治によるものであり、内部から崩壊したわけではない。

つまり、大正末期から昭和初期に始まった時代劇で描かれたのは、江戸時代のことではなく、当時の同時代のことである。このサイレント映画末期には、傾向映画という、左翼的志向の作品があり、かなりの人気を得ていたが、警察等によって強く弾圧された。

そこで、時代を江戸時代のことにして、権力や資本家を悪役として映画を組み立てたのが、時代劇なのである。

この方法は、実は江戸時代の歌舞伎も採用していた作劇法だった。

徳川幕府は、同時代のこととして芝居を作ることを禁止していたので、歌舞伎はみな昔のこととして演目ができていて、『忠臣蔵』も室町時代のことになっている。

このように、時代劇は、実は現代(当時の)のことを政治的圧力のために直接的には対象とできなかったために、作家たちが作り上げえた婉曲的な作劇法だったのである。

まことに、ものを知らないということは恐ろしいことだと思う次第である。

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