知事は象徴的存在であるのだから

参議院の通常選挙が終わり、次は東京都知事選挙に話題が移っている。

                    

東京都知事というと、かつての美濃部知事時代の保守・革新の対決を想像する方がいるかもしれないが、それは遠い昔の話である。

都道府県の知事は、本来象徴的存在であり、基礎自治体である市町村を支援、指導するのが主たる業務である。

それは、地方によって様々な制度があるが、アメリカの地方制度が日本の地方自治制度のお手本であることからもよく理解できるだろう。

だから、アメリカでもクリント・イーストウッドがどこかの市長になったのを始め、シュワルツェネッガーやレーガンもカリフォルニア州知事になっている。

日本での例としては、大阪の橋下徹がある。彼は当初、大阪府知事になった。だが、彼は府知事に大した仕事がなく、暇なことに我慢できなかったに違いない。

だから、仕事好きの彼は、知事を辞めてわざわざ大阪市長になったのである。

また、東京都でも、青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、そして舛添要一とろくに大したことをしなかった者が知事を務めている。

むしろ、石原慎太郎のように、新銀行東京、銀行税、さらに尖閣の国有化のように、余計なことをすると問題になるのである。

その意味では、石田純一で、十分だと思う。都知事は象徴的な存在なのだから、きちんとした副知事を置けば、彼ら以下の都の官僚が上手くやってくれるはずだからである。

要は、余計なことをしない知事が一番都民にとって良い知事であると思う。

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