学童疎開の陰でも

太平洋戦争中の日本の大都市では、子供たちは、戦争の遂行に邪魔になるかもしれない、特に空襲の時に上手く逃げられないだろうとの危惧から、小・中学生は、集団で地方に疎開させられた。

                     

だが、中には様々な事情から学童疎開に行かなかった者もいた。

これは、疎開に行かず、戦時中もずっと東京にいた小学校高学年のある方から聞いた話である。

その方は、ご両親のある伝手で、戦時中も学童疎開にはいかず、ずっと元の小学校に行っていたそうだ。

すると、自分だけではなく、実際に疎開に行かない子供たちが結構いたというのだ。

それはどのような人間かというと、障害児だったというのだ。

要は、疎開で集団生活させるには、「足手まとい」になるからと、そのまま都市に置いておいたのである。

つまり、戦時下というような異常な時でも、障害児は必ず生まれるものであり、いくら「一億一心戦争にまい進」したところで、それは時代と関係ないのである。

生物学的に考えれば、障害者は一定の割合の突然変異で起きるものであり、それは大体数パーセントだと言われている。

同時に、優秀な、時には天才といわれる者も、数パーセントの率で出現するのである。残りの大多数は、我々のような普通の人間である。

だから、ナチスが、そして相模原事件の狂信者が主張したように、劣勢の者を除去したところで、次の世代ではまた同じことが起きるのである。

それが、遺伝子の突然変異というものであり、それをあるレベルで劣勢遺伝子を除去するなどということは無理なのである。

昆虫ではミツバチの例が別の角度から種の不思議さを教えてくれる。

ミツバチの巣には、働き蜂がいるが、その内本当に働いている働き蜂は、20%くらいしかいず、後はろくに働いていないというのだ。

そこで、巣の能率を上げるため、その働いている働き蜂だけを取り出して、巣を作らせる。

すると今度は、その働き蜂の内の、やはり20%くらいしか働かず、残りは怠け者の蜂になってしまうというのだ。

どうしてそうなるのかは、まだ定説はないようだが、能率や効率だけを追求しても、物事はよくならないということだろう。

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