やはり、ブラジルは素晴らしい

リオデジャネイロ・オリンピックが終わった。

                     

オリンピックなんて、ただの運動会じゃないかという意見があるが、それは正しい。多くの人が誤解しているが、国際オリンピック委員会というが、これは国際機関でもなんでもない。

それは、ただの任意団体であり、国連やユネスコなどとは全く異なる団体である。あえて言えば、国際的な学会と言った組織に一番近く、最近の言葉で言えばNPOである。

元は、欧州のスポーツ好きの金持ちのサロンから始まったのだから、当然である。

つい最近まで墨守されていたアマチュアリズムも、金に困らず、ただ好きでスポーツをやっていた貴族たちにとって、スポ―ツ?で報酬を貰うことは卑しいことで下賤な人間のすることだった。

1912年のストックホルム・オリンピックに日本が最初に参加するためにマラソンの国内競技をやった時、走ることを職業としている人力車夫、郵便配達夫などは除外されたのだから笑える。

『無法松の一生』の富島松五郎は出られないわけだ。

今日の、企業のスポンサーを得ているアマチュア選手は全員出場資格がないことになる。

生物学的に見れば、地球上で最も広範な地域に繁殖したのは人類だそうだ。

人類が生まれて約500万年、これは生物としては極めて遅い出現だが、約1万年前には、ほぼ全地球上に広がったのだそうだ。

こうしたスポーツの戦いを見るとすぐに言われるのが、「生存競争」というやつだが、実は人間だけが、同種間の生存競争から逃れたことがその繁栄の第一の原因なのだそうだ。

以前、羽仁進が、アフリカでの話を披露していた。ケニアの動物保護区で、ある時に鹿に病気が流行し、鹿の子供が弱くなったので、ライオンに多数捕獲されて食べられてしまったそうだ。

その後、多くの栄養を得たので、ライオンは多数の子を産んだ。ところが、多数生まれたライオンの子は、体が弱く、今度は鹿を捕らえることができず、再びライオンの数は元に戻ってしまったというのだ。

このように自然の摂理は、各種のバランスをとるようにできている。

こうした生存競争を、強いものだけではなく、弱いもの、劣るものも同様に生きていけるように様々に生きてきたのが人類だというのだ。

このことを我々に教えてくれるのが、オリンピックである。メダルを得た者以外の、その種目をやっている何万人かの人間は全員敗者である。

だが、勝者も敗者も同列だと教えてくれるのがオリンピックなのだと私は思う。

だが、4年後、東京で8月にやるオリンピックは平気なのだろうか。

室内競技はともかく、マラソンやトライアスロン等の野外競技では死者が出るに違いない。

2020東京五輪は、

「死者続出で、地球温暖化に警鐘を鳴らし、全世界が地球温暖化に本格的に取組む切っ掛けの五輪」となったと言われるのかもしれない。

そうならないことを祈りつつ。

開会前に、本当にできるのか、いろいろ言われたが、無事できた。

本来お祭りなのだから、細かいことは問題ではないのだ。

大いに日本の我々はブラジルの生活を楽しむ素晴らしさ、ある意味で適当ないい加減さ、自然さ、多様性を学んだ方が良いと思うのである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. より:

    人気の格差
    野生と人間との違いは、敗者がペナルティを受け、怨霊の如く、社会を徘徊しない事でしょうね。オリンピックは、その勝者を称えながら、敗者にも、また再起をかけるだけの性根や時間が枯渇しないだけの猶予があると思います。

    また、スポーツ間の格差、人気度による優遇を極力抑えているのも、全ての参加種目に、褒章のあるオリンピックの特色だと思います。大会が定期的にあるからこそ、競技人口の確保が出来ているマイナーな種目もあるのではないでしょうか。

    格差を埋めているものは、格闘技などの、武力を焦点とする種目でしょうね。絶対王者、というフレーズ。メディアは明らかに勝者を重んじていると思います。

  2. さすらい日乗 より:

    文明はルールを産んだのです
    闘争や殺し合いが格闘技や武道の始まりでしょうが、次第にルール化され、急所は狙わないようになります。
    それが人間の文明、文化であり、知恵です。
    武士道も実は、江戸時代の平和になってからできたもので、それ以前は「宮本武蔵」に典型なように、卑怯も許されたのです。
    死ぬか生きるかの時に、「礼に始まり礼に終わる」なんてありえません。
    そんなことを言っていたら死んでしまいます。
    武士道のようなルールができたのは、敵討ちの連鎖を止めるためだとの説もあります。

  3. より:

    Unknown
    武士道の不思議は、戦乱を収めて、覇者となった武士たちが、持った所感として、戦争を起こし、そこから、生まれる貧富の差や、腕力の差によって、支配者が決まる事に対する、抵抗感もあったと思います。

    だから、徳川家康が覇者であったとしても、その君臣の道として、公儀の天皇があり、武士道は、徳川も遵守すべき、君臣の原理となったのでしょうね。

  4. さすらい日乗 より:

    問題が逆です
    徳川時代になり、平和になったから、「武士道」と言われるものができたのです。
    『葉隠』もある種平和の産物です。平和ボケしたから、武士道が生まれたのです。それまでは、卑怯な行為はいくらでもあったのです。

    戦争は、大規模な農業が始まってから起きたもので、日本で言えば縄文時代には戦争はなく、弥生時代になって戦争が起きるようになったのです。

    要は、富の蓄積、貧富の差が戦争の原因であり、人間の本能ではありません。

  5. アブダビ より:

    ブラジル
    かつて日本の格闘技界を震撼させた黒船にグレイシー柔術があります。明治に講道館柔道を海外に普及させるべく雄飛したした前田某。
    長年、ボクサー、レスラー、フェンシングまで相手をした彼は、気がつくと他流試合の専門家であるになっており、もはや流血の試合を前提としない講道館には相容れなくなっていた!
    その彼がブラジルにたどり着き、彼を継いだのがグレイシー一族のグレイシー柔術!

    彼らが「鬼の木村」に負けて、数十年後に日本に上陸し、プロレスラーから空手家まで倒したのが90年代。
    日本農薬格闘技界は黒船打倒に燃えます。
    これがPRIDE設立となり、総合格闘技ブームをうみ、日本は一時期に格闘技のメッカになった。
    そんな時に、ブラジルまで自費で行ったバカなライターもどきがいて、かく申すわたしです。

    いってみて解りましたね。グレイシーの強さの理由が。
    ブラジルって暑いでないですか?
    だからかビーチでサーフィンしたり泳いだり、
    するのが好きなのですよ。
    ビーチで海バン一丁になったら、ナイフもガンも持ち歩けないでしょう?
    だからケンカになると、強い奴を出して、素手で一騎討させるのですね。それでちゃらにする。実に簡単な話。
    砂場ではボクサーや空手のフットワークは利かないから、押さえ込んで締め技で決めると美しい。頚動脈を締めると10秒で人は失神しますが、後遺症は残りませんからね。美しい勝ちかたが出来るのです。
    決闘の文化を持っているラテン系には受ける訳です。(笑)

    そういうの実地で見せてもらいましてね。
    ファーベラってスラムが近くにあって、bathで迷い込みました。
    拳銃を突きつけられて金を財布ごと取られました。でも…タクシー来ない地域ですし、バスしかない。
    金を取られて!必死にポルトガル語で、
    「お金ない!ワタシ帰れない!死ぬ!」
    叫んでましたら、強盗が戻ってきて、
    ワタシに小銭を渡して、都心に向かう路線バスの停留所に連れていくのですね(笑)
    それでどうにかホテルに帰れました(笑)