『AKIKO』『AKIKOは・・・』

「あるダンサーの肖像」となずけられたドキュメンタリー2本、モダン・ダンサーのアキコ・カンダを追ったもので、後編は肺がんの末期になった秋子を対象とするもので、監督の羽田澄子得意の高齢者の末期になる。

モダンダンスとは何かと言えば、近代のバレーやダンスが、既成の物語を基礎としたものとすれば、モダンダンスやバレーは、各個人の持つイメージや言葉の表現ということになるだろう。

私は、昔から、ダンス、バレー、踊り、舞踏など言語のない表現にはかなり疑問を持ってきた。言語、つまり台詞があれば中身は分かってしまうが、言葉がなければ、「あれは実はこうだ」と言われれば、「ああ、そうなの」というしかないからである。

その上、一人芝居などは、大抵は演者の一人よがりなものなので、アキコ・カンダも、その名は聞いていたが、一度も見たことがなかった。

前編は、1985年の彼女の『マクダラのマリヤ』公演を中心とするもので、これは言うまでもなく『新約聖書』の娼婦のことで、スペイン語の戯曲『砂に書いた言葉』にもなっている。

台本・演出は戸板康二、音楽は南安夫と一流のスタッフ、アキコの一人舞台のようだが、良く内容は分からない。

                  

そして、彼女の来歴が紹介され、7歳からバレーをやってた彼女は、学生時代に来日したマーサ・グラハム公演を見て衝撃を受け、単身渡米して6年間マーサの下で修業する。

来日後、ダンス公演をするが、一方で結婚して一人息子も得るが、息子の養育は母と姉に任せてダンス一筋の道を歩む。

大宮の実家は大きなもので、相当に裕福な家だったのだろうと思う。

前編は、次の公園としてビートルズの曲を基にした作品を作るところで終了。

後編は、まず2010年の『愛のセレナーデ』を青山円形劇場で踊った後、彼女は入院したことから始まる。

肺がんが見付かったのだが、大変なヘビースモーカーだったので、当然というべきだが。

元々痩身だったが、病の性でほとんど骨に皮が少し付いている程度の肉体になっている。最初に思い出したのは、元女優の中島葵で、彼女の恋人の芥正彦が作った写真集を見た時だった。

そこでの中島葵も骨と皮ばかりの、ほとんど骸骨のような体になっていた。

次に、彼女の1960年代以降の公演がビデオで紹介されるが、観世栄夫、米倉斉加年らと共演していることに驚く。そこでは、万葉集や能など、日本的な物語を基にしたダンスが踊られていた。

なかでは、元宝塚で元参議院議員も務めた但馬久美と共演した作品が一番安定してぴったりと嵌っていたのが非常に興味深いことだと思う。

彼女自身も言っているが、秋子はマーサ・グラハムの大きな影響から逃れ自分のダンスを作ることが課題だったはずで、それは上記のような日本的な題材の公演になったと思われる。

だが、後半は再び、マーサ似のイメージ的な作品に戻ったのではないだろうかと私は思う。

そして、極めて重要なことは、1960年代から彼女は、毎月宝塚歌劇団と音楽学校で教えてきたことである。

彼女の死後のお別れ会で、牧美佐緒らが語っているが、秋子のトレーニングは当時は全く日本では存在しない斬新なもので、宝塚のダンスを大きく変えたのだそうだ。

カンダ・アキコは、ダンサー、ダンス作者・振付家、教育者の三つを行ったが、結局ダンサーとしていてよりも、ダンス教育者としての仕事が一番重要だったのではないかと思うのである。

それは非常に重要なことであることは間違いない。

2011年11月、彼女は75歳で亡くなったが、幸福な一生だったと思う。

フィルムセンター小ホール

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