金子さんに会う

午前中は、富山に行き、富山市民芸民俗村に行く。

売薬と交通という展示を見るためで、昔私の家にも富山の薬売りが来ていた。

富山の製薬は大変なもので、非常に儲かったらしい。展示は、秘田家(みつだ家)のもので、引き札などがあったが、撮影禁止などでここには出せない。

明治になってからは、その資金を全国の鉄道会社に投資したのだから、その蓄積は大変なものだった。

九州の九州鉄道、関西の大阪鉄道、中部の中越鉄道、関東の成田鉄道など全国の鉄道事業に投資したのである。勿論、売薬上の利点もあった。それまでは徒歩と荷車だったのだから、鉄道は販売促進になったと思う。

高岡に戻って福野駅に降りると、大学の映画研究会で同期でシナリオライターの金子裕さんがいる。

「どうしたの?」と聞くと、さんざ私に言われたので、見に来たとのこと。

山の仲間2人と昨日、立山に登って泊り、降りてきて富山から来たという。

ちょうど、パレードの始まるところで、8時すぎまで、3グループを堪能する。ケニアでは、安倍晋三が例によって的はずれ外交をやっているが、こちらは本当は生の文化に浸る。

この夜はアフリカンナイトで、最初はソマリランドのサハラ・ハルガンによるトリオ。ソマリランドとは、エチオピアとソマリアの隣で、紛争当事国である。

このエリアの代表国であるエチオピアの音楽が、なぜか全く日本の演歌や浪花節によく似ているように、サハラの歌もやはりそうだった。

                                              

金子さん曰く「ソマリランドの都はるみ」とはその通り。

次は、マダガスカルのタミリー、マダガスカルはよく知られているように民族的にはアジア系のマレー人なのだそうだ。メンバーには、顔つきがインド・マレー系の男も見える。

果たしてマダガスカルの音楽は、と聞くと、これは完全にルンバ・コンゴレス、つまりリンガラだったのにはあらためて驚く。フランスなどの欧米では、こういうのがアフリカ音楽の典型と思われているのだと思う。

金子さんはステージ前まで行き、「久しぶりにダンサーのグラインドを見たよ、女子高生が見ていたが、これも最高!」とはその親たちが見たら心配するような光景だったそうだ。

最後は、トーゴというドイツが宗主国だった珍しい国のグループで、リーダーは三度目の参加だそうだが、完全なディスコサウンドだった。

宿泊の高岡に戻り、金子さんと飲む。

先日、フィルムセンター小ホールで見た『女たちの証言』について。戦前の共産党の女性差別のことを話すと、全共闘時代も同じで、デモの後ろで女性たちが「救護班」などの腕章を付けて歩いていると「女子挺身隊か」と言っていたものだが。

組織内部も、まったくの「従軍慰安婦」とみなしていて、それは我々の未熟さそのものだったということで珍しく意見が一致する。

彼からは、明治時代の廃仏毀釈の凄まじさを聞くが、それは私の考えでは、昔から寺院は檀家を持ち、地所も広く所有していてその上りもあったことへの、神社側の恨みが最大の原因ではないかと答えた。

普通、神社は多くは非常に貧乏で、氏子が祭礼で寄付する以外には所得はほとんどなかった。

それに対して何故かお寺は広大な地所を持っているもので、私の実家の大田区池上も、一番の地主は池上本門寺で、普通に賃貸しているという具合なのだから。

横浜市でも、多分こうした経済事情を踏まえて、保育園は神社、幼稚園はお寺が設置、運営するものになっている。

保育園と幼稚園の違いは、保育園は公共からの措置費という運営費で行われていて、損失はないのに対し、幼稚園には多少の援助はあるが基本は民間の独自運営であるからである。

高岡で泊まったホテルは、駅前再開発で作られた高層ビルで、半分はホテルと飲食店だが、残りは公共施設で県立高校、高岡市図書館や生涯学習センターなどになっていて、良いアイディアだと思った。

高岡市としても、市の中心が高岡から、新幹線駅の新高岡に移動していくことへの対策だと思う。

何しろ、高岡駅は、すでにJR西日本の運営ではなく、あいの風とやま鉄道のものになり、JR西日本は新高岡駅に移っているのだから。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする