『アイ・ソー・ザ・ライト』 ハンク・ウィリアムス伝記映画

横浜伊勢佐木町にある横浜ニューテアトルは、変な映画館で、ハンク・ウィリアムスの伝記映画を1週間だけ上映している。

カントリーは結構嫌いではなく、ハンク・ウィリアムスも私は昔から好きで、中村とうようさんにも、そのことを笑われたことがあるが、カントリーは、そう変な音楽ではないと思う。

ハンク・ウィリアムスは、アメリカでは今でも人気があり、評価も極めて高い。その理由は、白人だが黒人音楽のセンスを持っていて、その泣き節が良いからだと思う。

                                       

彼の歌は、基本的にヒルビリーだが、南部の白人音楽は、黒人音楽やニューオリンズのクレオール文化とも混合している。

その典型が『ジャンバラヤ』で、ジャンバラヤは勿論、ガンボも、アフリカ起源のクレオール文化である。

アラバマ州ジョージアに1923年に生まれた彼の家は極貧で、様々な仕事に就いた後、15歳でステージに立つ。

母親がステージママで、彼女と、1941年に最初に結婚して、自分も売り出したかったが、全くのど下手の女性歌手オードリーとの間で苦しむが、1949年に『ラブシック・ブルース』がヒットして、ナッシュビルの「グランド・オール・オープリー」の舞台に立つことができる。

見ていて不思議に思うのは、このど下手で、意地がやたらに強いオードリーになぜハンクがずっと執着しているのか、よくわからないことである。

この二人の関係は、ジョアン・ジルベルトとアストラッド・ジルベルトの関係みたいだが、そこにステージママはいない。

ハンクには、生来脊椎に障害があり、そのための酒と薬、さらに女好きでだらしないのだが、歌作りの才能があり、次々とヒットソングを作り出す。

彼の歌の多くは、日本では小坂一也の曲だったなあと思う。

小坂も悪い歌手ではなかったが、やはりご本家には叶わない。

1953年12月正月の公演に向かう車の中で死んでしまう、29歳、心臓病だった。

この映画の良いところは、アメリカの南部の地方色がよく出ているところだと私は思う。

横浜ニューテアトル

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする