旅する天皇

先日のBSフジの『プライム・二ュース』の「天皇の生前譲位問題」は非常に面白かった。

 有識者会議の御厨貴東大名誉教授と東大教授の石川健治で、大変に意義のある議論が行われた。

この番組は、非常に公平かつ面白い番組で、今テレビでよく見ているものの一つである。

石川教授は、天皇のご公務を二つに分類し、憲法上の国事行為の他に、いわゆる公の行為と言われる「象徴としての行為」があり、これが実は大きな部分を占めているとのこと。

この象徴としての行為は、内外の要人との謁見、被災地や戦地の訪問などで、実はわれわれが普通に目にする天皇陛下のご公務の大部分は、これで、これによって普通の国民は天皇陛下のイメージを作っているというのだ。

私は、その他に天皇家の家長としての家の祭祀を司ることが重要な行為としてあると思っているが。

教授は、この被災地や戦地訪問等こそが、現在の天皇が国民の象徴となるために必要な公務で、それは新憲法後も最初から象徴だった昭和天皇との根本的な違いだとしている。

日本帝国憲法で即位した昭和天皇は、当時日本のすべての権能を有し、さらに人間ではなく現人神とされていたのだから、象徴であることに誰も違和はなかった。

だが、昭和天皇の人間宣言以後に天皇に即位した今上天皇は、象徴となる行為が必要で、それが戦地や被災地への訪問だったというのだ。

なるほどと思う。御厨氏も、「旅する天皇」という言葉で、現在の今上天皇の姿を表現していた。

                     

私は、国民の80%が支持している生前譲位に賛成で、その際にはぜひ今上陛下には、京都にお移りいただきたいと思っている。

その理由は、天皇は本来京都などの関西にいたもので、万葉集からノーパン喫茶、カラオケに至るまで、日本の文化、芸能はほとんど関西が発祥地なのだから、日本文化を象徴する最上のものである天皇が、関西にもどられるのは当然ではないかと私は思う。

それは、橋下徹の大阪都構想などよりも、効果と意義のある施策となると思う。

そして被災地や戦地訪問は、物理的行為を伴うのだから、年齢による支障は当然に生まれるので、次の方を中心にすれば良いと思う。

つまり、国事行為はもとより、遠隔地に行く被災地や戦地の訪問等は、若い現皇太子である浩宮様にお任せし、次第に象徴としてのイメージを形成させていけばよいのではないかと思う。

現皇太子様には、私は1981年の高校総体が神奈川県で開催された時に見ている。本来、国体が天皇のご列席であるように、高校総体は皇太子のご列席である。

当時はまだ昭和天皇が存命中だったが、同時に皇太子も外国訪問中だったので、現皇太子が弟君と一緒に三ツ沢競技場に来られたのである。

その時、今は秋篠宮の弟は、普通の若者だったが、現皇太子である兄君は、いかにも皇位継承者らしい感じがあった。

それは悪く言えば、ひどく年取って見えたが、逆に言えばある種の威厳が感じられたのである。

彼は「日ごろから、いずれは皇位継承者となる心構えを持っているのだな」と感じたものだ。

それは非常に大変なものだと思うが、選ばれた者の宿命なのだろう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. drunkcat より:

    佳いお年を!
    「・・・人々を鎮魂し、被災者の傍らに寄り添う「旅」こそが天皇に課された第一の責務であり、この『共苦(コンパッション)』という営みが現代の天皇が引き受けるべき霊的な責務であることを明らかにしており、重い歴史的意義がある」(内田樹・思想家)