『八十八年目の太陽』

八十八年目とはなにかと思うと、この年、1941年は1853年嘉永6年に浦賀にペリーが来てから88年とのことだそうだ。

原作は高田保で、1940年12月に新国劇が東京宝塚劇場で上演したものの映画化で、1941年11月公開というまさに太平洋戦争直前の作品。

監督は時代劇が多いが、抒情的な作風の滝澤英輔で、彼は実は黒澤明に影響を与えていることは、彼の自伝に書かれている。

ここでの脚本は沢村勉で、チーフ助監督は田尻繁になっている。

海軍省後援、浦賀船渠協力となっているが、この浦賀ドックの工員、社員の話で、むしろ浦賀船渠の宣伝映画のような感じもする。

ミュージシャンとして家を出て東京にいた大日向伝が、妻の霧立のぼると浦賀に工員になろうと戻ってくるところから始まる。

彼の父徳川無声は、ドックの現場の係長で、先祖代々浦賀にいて為政者に仕えていたことを誇りにしている。

ドックでは海軍の駆逐艦が建造されていて、同時に商船も作られていて、造船所内は残業につぐ残業で皆頑張っている。

だが、戦時景気で好況の町工場から引き抜きがあるなど、横須賀の町は活況を呈している。

だが、工員は不足していて、同時に駆逐艦と商船の造船などは無理だが、皆精神でやり遂げようと威勢を上げる。

徳川無声の次男佐伯秀男が徴兵されて、盛大な出征の見送りの万歳が行われるのは湘南電鉄の田浦駅だろう。このときはまだ2両編成である。

大日向のところには昔の音楽仲間から、また楽団を作るから東京に来ないかとの誘いがあり、ある日大日向は浦賀を出て東京に行ってしまう。

 ついに浦賀を捨てたのかと思うと、大日向は工員を120人連れてきたのである。

そして、駆逐艦ハヤカゼは無事竣工するのである。

                                                              

まさに戦意高揚というか、増産運動映画である。飯島正先生は、「記録性と劇映画性が中途半端になっている」と批評しているが、むしろこの精神主義が不愉快だったのだと思える。

精神の高揚で増産ができるとは、まるで今の北朝鮮である。

放送大学の高橋和夫先生によれば、近代戦では人口と生産力で勝敗は決まるそうで、その最初がアメリカの南北戦争だったそうだ。

当初は兵士の士気が高く、将軍も優秀だった南軍が優勢だった。だが、次第に人口が多く、工業力の高い北軍が勝利する。

これは世界的に、第一次、第二次の世界大戦でも同じだったそうだ。

よく日本はアメリカの物量に負けたというが、物量の戦いことそが近代、現代の戦争なのである。精神主義で勝てるものではないのだ。

日本映画専門チャンネル

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