『若き日のあやまち』

1952年の新東宝映画、脚本は植草圭之介と菊島隆三、監督は野村浩将で、主演は言うまでもなく左幸子、映画デビュー作。

昔、キネカ大森で開かれた彼女の特集のとき左幸子は、これと日活の『踏み外した春』は、まさに自分の人生を象徴しているような題名だと言っていたが。

女子高生の左は、父親は医者の十朱幸雄で、裕福な家である。

彼女は大学生松本朝夫らとスキーに行ったとき、彼とキスしたという噂をわざと校内で流行らせる、ませた娘である。

当時すでに20歳は越えていたはずだが、小柄で童顔なので、高校3年生はおかしくない。

校内では、彼女の言動が常に問題となっていて教頭の一宮敦子は厳しく対応せよと命じるが、担任の相馬千恵子はやさしく善導しようとしていて、友人の研究者竜崎一郎も同じ思いだった。

ある時、左はパチンコ屋で、不良大学生と知り合い、ダンスホールに誘われ踊っていると急に雨が降ってきて、ホテルに行くはめになる。

翌日の卒業試験を左は休み、ことがばれてしまうが、それでも相馬は左を信じている。

そして、実は相馬も若い時、あやって好きでもない男とあやまちを冒したことがあることを告白し、皆は感動する。

「だから、そんなこと関係なく強く生きていくのよ!」と左を励まし、左も無事卒業式に出る。

これは言うまでもなく、当時多く作られていた「性典もの」映画の1本であり、若尾文子のヒット作の先駆けである。

今から見るとどうということもなく、大して面白くもないが、当時いかにセックスの描写が中途半端であり、いわばおそるおそる触れるものだったかが分かる映画である。

8年後、1960年の大島渚の『青春残酷物語』では、女子高生の桑野みゆきが堂々と大学生の川津祐介と美人局で、金を得るようになるのだが。

衛星劇場

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