『なむはなだはむ』

東京芸術劇場の、コドモ発射プロジェクトで野田秀樹の原案とのこと。

『なむはなだはむ』とは回文だろうが、その意味は不明だが、私の経験では題名が不明の作品で、良かったことはないが、これもそうだった。

12時30分の劇場に着くと開場時間なのに開いていず、まず自由席の観客を先に入れ、指定席は後回しにされるが、順序が逆である。

「コドモ発射プロジェクト」とのことで、親子連れが多く、中に入ると湾曲したハーフパイプのような舞台装置の木の壁を子供たちが上って滑ったりしている。これも出来レースの演出のうちかと思う。

岩井秀人という俳優らしい人が、音頭を取り、会場から言葉を募って台詞をつなげていく。

「総理大臣」から始まり、アナコンダ、病院に行き、看護婦とどうかした等々になる。これもやらせかと思うが、まあそれも良いだろう。

だが、この無意味な趣向も10分くらいで終わると、舞台下から森山未来と前野耀太が出てきて、3人でいろいろやる。

筋はなく、要は多分子供たちが作ったらしい詩に合わせて、3人がいろいろと動いたり、パンク・ロック演奏をしたりする。

どこに意味があるのかと思うが、恐らく言葉や台詞から意味を取って新しい肉体の動き等を発見しようとするものだと推測する。特に森山は、無意味な動きを見せる。

勿論、そんなことにどんな意味があるのか。

野田秀樹はよく芝居の途中にそうしたナンセンスなシーンを挿入するが、大抵はすぐに元の話に戻す。要は、そうしたナンセンスさだけで劇を持たせることは無理なのだから当然である。

だが、ここでは延々と無意味さが演じられていく。大人でも理解できないのだから、子供にはまず無理で、諸所で大きな鳴き声が上がる。

森友学園の「教育勅語」の斉唱も論外だが、こちらの子供の仕業の放置も困ったもので、明らかに子供への誤解である。

太宰治の小説に、「子供の心など清く正しいものではない」というのがあった。

もし、鳴き声を上げる子供たちを見て、寺山修司だったら、幼児を殺す血なまぐさい場面を入れて会場を凍りつかせてしまうだろうなと思わず想像した。

悪い想像だが、そうでもしていないと眠ってしまう退屈なステージだった。

久しぶりに「金を返せ」と思わず言いたくなったが、大人なので黙って出て、湘南新宿ラインで横浜に戻る。

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