『城塞』

新国立劇場で『城塞』を見た。『白蟻の巣』に続く、「日本戯曲の力シリーズ」の2作目。

作は安部公房で1962年に千田是也の演出で俳優座で上演されたもの。もっと昔の作品かと思っていたら、安部公房の俳優座作品としては後期になる。この10年後の1973年、安部は自分の集団の「安倍スタジオ」を作って独自の演劇の道を歩むことになる。

話は、満州で戦時中に多数の電気炉工場を買収して成功した新興財閥の邸宅の一室。

今の社長の男の父は戦後、娘を残して飛行機で自分ひとり逃げて来て、戦後はずっと一人で部屋に籠っていていて、いまだに戦時中の時代に生きている。

サルトルの『アルトナの幽閉者』に似ているが、それがドイツのクルップ社をモデルにしているとすれば、これは日産を作った鮎川一族のことだろう。

要は、戦争責任を主題としているが、現在見るとあまりピンとこないのはどうしてなのだろうか。

俳優は、父親が辻萬長、息子の男が山西惇、邸宅の従僕がたかお鷹、男の妻が椿真由美、若い女でストリッパーが松岡衣都美となかなかの適役で、演出の上村聡史も悪くはない。

だが、なぜリアリティがないのだろうか、それはスタッフ、キャストに戦争責任への意識が全くなくなっているからだと私は思う。

これを見て驚いたのは、初演の時の妻は大塚道子で、今回の椿の演技には、大塚道子の台詞回しが感じられたことで、安部公房も結構役者への当て書きだったことがわかった。

さて、この劇が上演された1967年は、1960年安保反対運動の2年後であり、安部公房は、日本共産党主流派の方針を強く批判し、いわゆる新日本文学・構造改革派の一人として活躍されていた時代である。また、演出の千田是也も、日本社会党系の反安保運動の文化人の中心の一人だった。

戦争責任が辻萬長に象徴される資本家にあったのは彼らにとって前提で、この劇の主題は、戦争責任の問題を直接法ではなく、前衛的な手法で描くことだったはずだったと私は想像する。

最後、すべてを父に明らかにし、遠く見える工場群の前で、女はストリップを踊る。

これは当時ではかなり衝撃的なシーンだったと思うが、今見るとさしてショッキングではないのはどうしてなのだろうか。

時代の性というべきだろうか。

客席に、演劇評論家の渡辺保さんがおられた。

渡辺さんは、昭和恐慌の引き金となった「今渡辺銀行が潰れました・・・」の大蔵大臣の失言の東京渡辺銀行の末裔の方であり、いつもきちんと背広ネクタイで劇を鑑賞されていた。

恐らく、1967年の初演を見ていられる渡辺さんにご感想をお聞きしたかったが、劇が終わるとその姿はなかった。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする