二人の反対 

ゴールデンウイーク中は、横浜のベイブリッジを通った方も多いだろう。この首都高速と国道357号線は、横浜の大黒ふ頭と本牧ふ頭の上を通過している。

ここの土地は、言うまでもなく大黒は横浜市港湾局の、本牧の一部は横浜港ふ頭公社の土地で、この土地の売買については、私が港湾局管財第一係長の時に担当した。

前任の小山政雄係長の時代から、「有償で買え」という港湾局と、「無償でくれ」という首都公団との間でずっと交渉が続いていて、いつも平行線で、中を横浜市道路局が取り持っていた。

その時の道路局の係長は、後に中田宏市長時代の愚劣イベント「開国博」の過労で若死にしてしまった川口良一君で、いつもご苦労様と思っていた。

時には、首都高の上の建設省の若い生意気な係長(多分キャリアの係長)に三ッ沢の国道事務所に呼びつけられて、大げんかして帰って来たこともある。

ところが、1984年12月の中旬、いきなり首都高が「有償で買います」と言ってきた。

話を聞くと、首都公団のエリアで、当時大規模な建設工事をしていたのは、横浜と東京の王子線で、王子の買収が進まず予算が消化できないので、ぜひ横浜分を有償で、とりあえず今年度は20億円買いたいというのだ。

すぐに書類を作成し、首都高には図面を作ってもらった。

というのも、柱が建つ所は勿論100%の価格をもらうが、空中を通過する部分は、それぞれの高さに応じて空中権を設定しないとまずいからで、複雑な図面と価格の算定が必用だからだ。図面は、本来は地主が作るものだが、横浜市にその能力はなかつたので、買主の首都高に作ってもらった。

そして、書類を作成し、港湾局から関係する道路局、財政局へと係長の私が持ち回りして決済をもらった。

この時、二人だけ、この書類に反対する人がいた。

助役の池澤利明さんと財政局の財政部長の原克己さんだった。二人とも、横浜市役所で知らない者はいない論客だった。

池澤さんは、「有償で売るの?こんなものは作ってもらうのだから、ただで良いのだ!」だった。

原さんは逆で「もっと高く売れないのか!」だった。

二人をどう説得したかは、まったく憶えていないが、ともかく決済はもらえた。

ところが、12月末になって財政局から、また意見が来た。

この年度末近くになって20億円も歳入がいきなり入るのは困る、地方交付税をもらえなくなるからというのだ。

へえと思ったが、結局翌年の2月ごろに20億円入ったはずで、最終的にはこの後の3年間で90億円くらい売ったはずである。

一応、私が横浜市に貢献したことの一つである。

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