借り楽器の交響楽団

タモリ倶楽部で、打楽器の貸出店のことを放映していたが、私もクラシックの楽団の楽器に貸し借りがあることに遭遇したことがある。

それは1991年7月にパシフィコ横浜が開業した時のこと。

ウォーマッド横浜をはじめ、いろいろなイベント、会議等が行われたが、その中で横浜市は、国連ピースメッセンジャー会議総会を誘致して実施した。

この時の国際室の担当課長は、横浜市役所で知らぬ者がいない南学、稲垣晴彦、大村崇夫の3係長で、特に南学が中心だった。

私は、この年の1月から3月まで、富士宮にあった国際貿易研修センターに語学研修で派遣されていたので、やったのは秋吉敏子の「ジャズ・コンサート」と、「子供ミュージカル」の企画だけだった。

初日は、パシフィコ横浜で開会式や総会が行われていて、担当課長の上野和夫さんはじめ、国際室の職員は総動員で会場に行っていて、私は市役所での電話番だった。

圧倒的多数は、「パシフィコ横浜はどこにあるのか」という電話だったが、中で、日本フィルに貸す楽器を持っていかなくてはならないが、会場はどこかというのがあった。

確かヴァイオリンで、中年の女性のようだったが、要は日本フィルハーモニー交響楽団の誰かに楽器を貸しているのだとのことで、そういうこともあるのかと非常に驚いた。

この会議のパネルディスカッションのモデレーターは、当時京大教授で、ノーベル賞エージェントと言われた矢野暢で、会議後には、横浜市役所の関係者には

「気障で変な男だ」と非常に評判が悪かった。その後、矢野はセクハラ事件で大問題になり、すぐに死んでしまった。

矢野暢を選んだのは、勿論、南学先生で、「類は友を呼ぶ」とはこのことだなと思ったものだ。

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