『マリアの首』

日本戯曲の力シリーズの3本目は、田中千禾夫の『マリアの首』である。あのひどい『令嬢ジュリー』を演出した小川絵梨子で平気なのかと思うと、やはりひどい。

冒頭、長崎の合同市場の道ばたで、客引きと詩集を売る鹿(鈴木杏)が、詩をつぶやくが、これがすごい訛り。長崎弁というものでもない、ともかくもひどい訛りでまず躓く。

さらに、彼女はサンダルを履いていて、ペタンペタンと踵を引きづって歩くので、さらに興ざめ。このペッタン歩きとは、20世紀の終わりごろ、ズボンをずり下げ、靴の踵を踏んでペッタンペッタンと歩くルーズ・ファッションの一つで、都会の若者がアジアの農耕民の子孫であることを明らかに証明する動作だった。

鹿という女性は非常に重要な役割を与えられていて、初演の新人会では楠侑子が演じ、女性の「聖性」を与えられているのだが、ぺったん歩きでは無理である。

あえて言えば、この劇も実は、田中千禾夫の実際の俳優への「あて書き」だったことが分かったのは、この芝居での唯一の収穫だったが。

話は、戦後の長崎市で、昼は病院の看護婦、夜は最下層の娼婦になる女、忍(伊勢佳世、初演は渡辺美佐子)、さらに看護婦の静(峯村リエ 初演馬場恵美子)、彼女たちが行う浦上天主堂に残されていたマリア像の破片を盗んでくるというものだ。

だが、この劇のすごいところは、彼女たちやヤクザ、傷痍軍人などの普通の人間が、日常生活の会話と同時に、哲学的、抽象的で詩的な台詞を吐くところである。

だから、役者は瞬時にして台詞の表現を切り替えなくてはならず、非常に難しいのだが、詩的で美しいイメージの劇なのである。

こうした表現の次元の転換は、この作者の田中千禾夫が日本では最初に始めたもので、それは唐十郎から野田秀樹にまで影響しているのだと私は思う。

私はもちろん、1959年の新人会の初演は見ていないが、1992年に地人会が上演したのは見ていて、相当に違和感を感じたが、主人公の小林勝也と忍の寺田路恵は、非常に良かった記憶がある。鹿は、たかべしげこで、これも聖性は感じられず問題だったが、これほどではなかったと思う。聖性は、田中が楠侑子に当てて書いたものなので、他の女優が演じるのは非常に難しいのだが。

詩的に台詞を表現する代わりに演出の小川がとったのは、台詞を大声で怒鳴ることで、これには本当に呆れた。

私が最初に大学の劇団に入ったときに言われたのは、「ともかく大きな声を出せ!」ということで、大きな声を出せば芝居は形になるだった。

演出の小川絵梨子は、アメリカで演劇を勉強したとのことで、日本の学生劇団の稚拙な方法論はご存じないと思うが、米国の演劇学校の方法論も同様なのだろうか。

音楽も、田中の指定ではギターとなっていたが、わざわざジャズの「チュニジアの夜」を使ったのは一体どのような理由なのだろうか。むしろ、鈴木忠志のように当時の歌謡曲を使ったほうがまだ気が利いていたはずだ。

そうした批評性が全くないのも大きな問題だった。

新国立劇場小劇場

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コメント

  1. あさえ より:

    気になりましたので、コメントは公開しなくて良いです。
    客引きとは詩集を売る女が忍(伊勢佳代)、看護師、夜は娼婦の女が鹿(鈴木杏)です。