通婚圏は国民と同じだった

先週、秋篠宮家の長女眞子さまのご婚約が報じられたが、そのお相手は、大学の同級生とのこと。

文化人類学では、結婚相手がどのエリアに属するかの「通婚圏」という考え方があり、一般的には広い方が「開明的」だとされている。

未開の地域では、当然にも狭い圏になるわけだが、それでも大抵は隣の村だそうだ。自分の村からは選ばないとされていて、これは近親婚を避けるためだと考えられている。

日本でも近親婚は大変な禁忌で、歌舞伎の悲劇の一つに、愛し合った男女が実は、兄妹、姉弟であることがわかり、所謂畜生道に落ちるので、愛し合えないという、バカらしいというか、この世の不条理というべきかの筋書きがある。

舟木一夫の映画にも、そんな悲劇があったはずで、西河克己監督の『残雪』だと思うが、私は冒頭しか見ていない。CSで見ていて、なんか暗くてつまらないと思ってやめたのだが、見ておけばよかったと思っている。

現在の日本では、通婚圏は、学校か職場しかなく、昔は地域におせっかいおばさんがいて、若い男女を見つけるとやたらに一緒にすることを企てたものだが、今はそうした女性は都会では存在しないだろう。

皇族も、通婚圏が国民と同じだったということは、基本的には、昭和天皇や今上天皇が目指してきた、皇室の民主化の結果の一つと言えるだろう。

かつて皇室や皇族には、われわれ庶民の地域に当たるというべき華族圏があったわけだが、そのつながりは薄れているのだろうか。

今も旧華族の懇親会はあるはずで、東京霞が関ビルの中にあるはずだが、下々にすぎないわれわれにはまったく窺い知れないものである。

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