梶本隆夫死す

阪急の大投手だった梶本隆夫が死んだ。長身の左投手で、高校から入団し開幕投手を務め、そのシーズン20勝したが、南海の宅和がなんと26勝も挙げたため新人王は逃したそうだ。

昭和30年代、阪急の投手と言えば米田、梶本で、二人は常に20勝以上だった。

ただ、ここ一番には弱く、後に阪急が日本シリーズに出るようになっても、すでに下り坂だったが、巨人には大変弱く、特に長島にはいつもカモにされていた。

867登板は、米田哲也、金田正一に次ぎ第3位である。

極めて人の良い人だったらしく、阪急の上田監督が、日本シリーズでの大杉のホームランの判定をめぐり長時間猛抗議し、その事態の責任をとって辞任した後、監督となった。
だが、阪急の成績は振るわず2年で辞任し、また上田に監督を戻した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. ご冥福をお祈りします

     
    ■9連続奪三振、元阪急投手の梶本隆夫氏が死去 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=91953&media_id=20 現役時代を直接知る世代ではありませんが、 低迷期の阪急ブレーブスを支え続けた大エース。 西京極球場でサインを頂いたのが思い出です。 マスタ …