『熊楠の家』

          

2011年に亡くなった劇作家小幡欣二が、1991年に劇団民芸に最初に書いた劇である。

日本のエコロジーの先駆者のひとりと言われ、博覧強記の民間学者南方熊楠を描く作品で、初演は米倉斉加年が熊楠を演じた。

矢野誠一氏の『小幡欣二の歳月』によれば、当初は大滝秀治も熊楠役を強く希望していたが、結局米倉になり、そこには我々には窺がい知れない役者同士の厳しい争いもあったようだ。

1909年、欧米の留学から帰国した熊楠は、紀州田辺で、粘菌の研究に没頭しているが、当時の政府の神社合祀令で、自然の森が潰されようとし、彼は反対運動に立ち上がる。

彼らの運動で、合祀令は撤回され、熊楠は一層粘菌研究に進み、海外の研究誌でも認められるまでになる。

粘菌は、われわれ動物の祖先の真性細菌だが、当時は動物なのか、植物なのかの論争があり、南方は日本では少数派の動物説だった。

そこに、当時の摂政(昭和天皇)が、熊楠の粘菌研究を知っていて、注目していることが知らされる。

この辺は、偉人伝なのかと思うと、違う展開になるのは、さすがに小幡欣二の劇作の上手さである。

田辺をはじめ地元の人間は、その情報を聞いて狂喜するが、熊楠には大喜びできない悩みがあった。それは息子熊弥で、精神をやんでいたのだ。

確かに、熊楠のような巨人の近くにいたら、普通の人間は圧倒されてしまい、どのように付き合えばいいのか分からなくなるだろうが。

1929年4月、昭和天皇が紀州を訪れるが、皮肉にも天皇と熊楠の息子熊弥は同い年なのであった。

この昭和初期は、今から考えれば、日本は一番平和で、反軍縮の時代だったのだ。

熊楠役は千葉茂則で、彼の桁外れの巨人ぶりを良く演じていた。

熊楠の妻役は中地美佐子で、巨人を支える妻を堅実に演じていた。演出は丹野郁弓。

紀伊国屋サザンシアター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする