松竹映画の演技術

先週末に横浜で行われた「横浜みなと映画祭」の『乾いた花』の後のトークイベントで監督の篠田正浩は、この撮影はほとんど一発撮り、つまり本番OKだったと言っていた。

一方、松竹の至宝・小津安二郎は、どのようなベテラン俳優に対しても、何度も、それこそ何十回も本番をやらせたことで有名である。

この差異はなにを意味しているのだろうか。

私は、どちらも結局は同じで、余計な芝居、演技をさせず、自然な演技をさせることだろうと思う。

考えてみれば、1920年に松竹が、松竹キネマ合名会社の蒲田撮影所で映画を作り始めた時、実は二つの重要なことを日本で最初に始めた。

一つは、旧劇は作らず、現代劇を作ること。この時期に、時代劇という言葉はなく、1923年に伊藤大輔が映画『女と海賊』を撮った時に「新時代劇」と称したのが、時代劇の始まりである。

もう一つは、女形ではなく、女優を採用することだった。

そして、新しい俳優を作り出すため、俳優学校を作り、新劇の小山内薫を所長にした。要は、アメリカ的な新しい喜劇等を作るつもりだったのである。

だが、これは上手くいかず、観客にも受け入れられず、結局は野村芳亭監督が作るメロドラマ、さらに京都撮影所が作り始めた、林長二郎主演の時代劇がドル箱になってしまった。

だが、東京では依然として現代的な芝居の映画への追及はあり、それは島津保次郎監督の作品群だった。

これは、都市の極めて日常的な生活の描写を中心とする作品群で、関東大震災以後、東京等で増加したサラリーマンの生活感情に合うもので、多くの優れた作品が生まれる。

また、渋谷実、大庭秀雄、吉村公三郎などの弟子も出て、都会的で洒落た作風の撮影所になる。そこでの演技術は、劇団新派の演技術にも影響を受けて、誇張や型による表現ではない、自然な芝居を最上とするものだった。

例えば、新派の名優花柳章太郎の芝居を見ると、何百回も演じているのに、花柳はまるで台詞が入っていないように、たどたどしく台詞を言う。これが新派のリアリズムなのだ。

また、俳優で殿山泰司という人がいたが、彼は映画に出て、台詞を言うとき、まるで俺はこんな映画には出たくないんだ、という風に嫌々台詞を言い、行動する。

これも彼のリアリズムなのである。

フランソワ・トリフォーは、中平康監督の映画『狂った果実』を見て驚嘆したと本に書いている。

これは、石原慎太郎が威張るような、彼の小説、脚本が優れていたからではなく、石原裕次郎や北原三枝、津川雅彦らの、松竹的な自然な演技に驚嘆したのだと私は思う。

中平は松竹大船の出身であり、北原も松竹から日活に移籍した女優だったのだからである。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする