『NINAGAWAマクベス』

『NINAGAWAマクベス』を見るために埼玉に行く、北浦和からバスで劇場へ。

前に見たのは、1980年の日生劇場での初演で、この時は平幹二郎と栗原小巻だった。今度は市村正親と田中裕子、辻萬長、大石継太、瑳川哲朗らである。

筋は言うまでもなく、シェークスピアの有名戯曲なので、あえて書かないが、マクベスが夫人に唆されて犯す、主殺しと周囲の離反による悲劇である。

市村をはじめ役者の良さは当然だが、ここで二つのことを書いておく。

蜷川幸雄役者への演技指導のことはよく書かれているが、彼が劇を絵にすることの上手さについては余り書かれていないように思う。

彼は、埼玉からわざわざ東京の開成高校に来たにも係わらず、東大への進学の希望は失せて、東京芸大への受験を選び、落ちて仕方なく劇団青俳に入団したように、絵画好きの青年だった。

だから、彼は劇を絵にして客に見せるのが上手く、誰にでもわかるように演出する。そこが蜷川が幅広い層から人気を得た理由の一つがある。

ここでも、まず舞台が前面に仏壇となっていて、老婆が観音開きの扉を引くことで幕が開くという奇抜だが巧みな設定で始めている。

また、舞台中央には大きな甲冑が置かれていて非常に不気味だが、王を殺した罪にマクベスが苛まれるとき、甲冑が真っ赤に染められて、マクベスの不安を強く表現する。

この劇では、俳優は戦国時代の衣装で演じられており、日本の時代劇のように見え、イギリスの劇を見ているという違和感が取り払われている。

シェークスピアを日本の劇にするというのは、蜷川幸雄が始めたことではない。黒澤明には、『蜘蛛巣城』がある。だが、ここでは翻案されていて、マクベスは鷲頭という具合に変換されている。また、彼には『白痴』もあるが、そこではナスターシャは、那須妙子という風に改名されていて苦心のほどがわかる。

ここでは美術と衣装以外、原作にまったく手を加えていない。戦国時代の姿でシェークスピアが上演されているのである。

それはなぜか。これは演劇におけるシュールレアリズムなのだろうと私は思う。

蜷川も、日本の演劇には飛躍が必要だと書いており、ここでは戦国時代でシェークスピア劇を演じるという離れ業が行われていて、見る者には全くの違和感がない。

これを蜷川幸雄はどこで手に入れたのか。多分、それは劇作家田中千禾夫の作品と歌舞伎からではないかと私は思うのだ。

どちらも若き日の蜷川幸雄が愛好したはずのものだからである。

彩の国埼玉芸術劇場

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