『沖縄の民』

朝、横浜市長選挙の投票に行った後、阿佐ヶ谷に行く。なぜか満員で、なんと54番目。

あまり上映されない作品だからだろうか、補助椅子で見る。

石野径一郎の原作、昭和19年夏、沖縄の国民学校では児童の疎開を始めていて、女教師の左幸子も恋人の安井昌二と一緒の船で鹿児島に行く予定。

だが、乗船間近に、校長の織田政雄に、「次の便で行ってくれ」と頼まれ、安井だけが乗っていく。だが、船はあの対馬丸で、アメリカの潜水艦に撃沈されてしまう。

児童を送った父兄から、左は「なぜ自分一人は乗らなかったのだ!」と批難され、ついに校長は自殺してしまう。

翌年には米軍が上陸してきて、島は戦場になり、中学校生の長門裕之も兵隊にされてしまい、激戦を戦う。

圧倒的な戦力差で、米軍は全島を制覇するが、沖縄の島民は残った兵隊と共に、ガマ、つまり墳墓の穴に籠って抵抗を続ける。

長門は、通訳の岡田真澄から、生徒らを説得してくれとガマに行き、穴から出てくることを叫ぶ。穴にいた左幸子たちは、外に出るが残った兵士は手榴弾で爆死してしまう。

昭和20年8月、戦争は終わり、本土から疎開していた者が沖縄に戻ってくる。

そこには死んだと思った安井昌二の姿があり、左幸子は再会を喜ぶ。

だが、安井は言う、

「二人だけ生き残ったのも運命だと思い伊江先生(堀恭子)と結婚したんだ・・・」

当時、よく起きた悲劇だろうと思うが、1956年の時期に、こんなセンチメンタルな映画が、と思われるかもしれないが、当時はまだ日本人全体に戦争の記憶があった時代である。

実は、この年には石原裕次郎の『太陽の季節』、『狂った果実』が公開されていたのである。

よく「この太陽族映画のヒットで日活は大躍進してゆく」と言われるが、本当はそうでもなく、結構多様な作品が作られていたのである。

後に、日活最後の大作として『戦争と人間』が作られ、ここでは軍事指導として、いつもは悪役の木島一郎の名があったが、ここには勿論ない。

スタッフ、キャストがみな戦争の経験者だったからである。

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