見てみないと分からないものだ 『或る保母の記録』

1960年代、松本俊夫フリークだった私には、厚木たかは、共産党のゴリゴリだと思っていた。彼の本では彼女は強く批判されていたからである。

だが、戦後の短縮版だそうだが、彼女が脚本を書き、水木荘也が監督した1941年の『或る保母の記録』の記録を初めて見て驚いた。

戦後の羽仁進の名作『教室の子供たち』『絵を描く子供たち』らの先駆というべき自然で、面白い作品なのだ。

冒頭に高架の電車が走っていて、駅の広い出入り口から多くの人が出てくる。大井町らしく、大井町線の大井町駅で、今も変わっていない。品川区戸越にあった保育園の記録で、一人の保母の語りで、しかも非常に控えめの解説で映画が進む。

保育園なので、零細な工場、町の店等の幼児が預けられている。園児の健康、遊び、食事等が丁寧に描かれているが、子供の表情と行動が自然に捉えられている。カメラは、35ミリのアイモも使われたそうで、至近距離からの手持ち撮影もある。

音楽は控えめだが、深井史郎で、抒情的なもの。

もう1本、同じ芸術映画社の名作『雪国』も上映された。

1939年に公開されて絶賛された記録映画作品で、監督は石本統吉、カメラには戦後は日活の藤田敏八の劇映画も担当した井上莞も助手で参加していた。撮影は新潟の新庄市で行われたそうで、冬の豪雪、それへの対策の描写から始まるが、ともかく手作業で雪下ろしをすることしかない。

正月から春になり、苗代、田植え、そして秋の取入れになる。そしてまた雪。

文部大臣賞と日本映画監督協会賞も受賞し、ちょうどできた文化法による文化映画の代表作と大変に評価された作品。

GES、芸術映画社は、元共産党員の大村英之介によって作られた映画会社で、元プロキノの左翼作家も結集して優れた作品を多数作った。

なかには、戦後は映画(東映)と演劇(青俳)の製作者となる本田延三郎も脚本を2本書いている。

大村は、戦後も映画会社を作り、OMMプロと言い、アニメも作っていたことは、カメラマンの田村まさきの本に書かれていた。

『雪国』で、家の中で老人が囲炉裏端で子供らに話をするシーンがあり、まったく意味が分からなかったので質問した。

解説のミシガン大学のマーク・ノーネス博士も分からないそう。

さらに、共同企画者の丹羽研究室の森田典子さんも理解できないそうだ。

「ただ方言で、しかもこうした試みは、当時の民俗学思想の高まりで大きく評価された」とのこと。

今回は、記録映画アーカイブプロジェクトの一環で、2009年から始まっていたとは知らなかったが、素晴らしい企画である。

東大本郷工学部丹羽研究室

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