民間にできることは民間に 「文春社長が図書館での文庫本の貸出中止を」訴える

全国図書館大会の分科会で、文芸春秋社長が、出版不況の中で、図書館での文庫本の貸出中止を訴えたそうだ。

未だにそんなことを言っているのか!

まず第一に、日本人が本を買って読んできたという認識が完全な間違いである。江戸時代から日本人は、貸本で本を読んできたのである。

当時、近代的な製紙術、印刷術もないので、大量の紙を作り本を印刷、販売することは不可能だったので、江戸の庶民は貸本で本を読んできたのである。

川島雄三の映画『幕末太陽伝』では、貸本屋の小沢昭一の金蔵は本を担いで品川に来て、遊女に本を貸しています。

戦後の1970年代でも、勝新太郎主演の映画『やくざ絶唱』では、文学少女で妹の大谷直子は、学校の図書館で本を借りる(『チボー家の人びと』でした)他、小説を貸本屋で借りて読んでいます。

つまり、最近まで本を買って読むという人は実は少なく、みな借りて読んでいたのです。

1950年代末には、貸本屋は全国に3万軒あったと言われています。つまり、今のコンビニと同じくらいあったのです。都市の労働者等は、工場から戻ったら、まず風呂に行き、食堂で食事して、後は貸本屋で本や雑誌を借りて、部屋に行って読んで寝る、という一日だったようです。ラジオはあっても、テレビもない時代はそんなもので、庶民の娯楽で貸本屋は重要な地位を占めていたのです。

しかし、貸本屋は、現在では300軒位になっています。

理由は、何でしょうか。

勿論、経済成長による所得の向上もありますが、著作権法が変わったことも重要な原因でした。

もう、みな忘れられていられるでしょうが、1980年代に「貸レコード屋問題」というのがありました。都内の学生が始めた事業が大ヒットし、全国に貸レコードが立地し、レコード業界からは、「売れない」として強い反対がありました。そこで国会議員に運動した結果、議員立法として「貸レコード臨時規制法」ができました。その後、それが著作権法に取り入れられて「貸与権」が新設されました。しかし、本と雑誌については、江戸時代からの経緯を踏まえ、当分の間は「適用せず」とされたのです。

つまり、2000年当時、貸本屋が新刊を利用者に貸しても、権利者は一切配分を受けることはできませんでした。その頃、私は横浜の図書館にいましたが、「無料貸本屋論」が盛んでした。そこで、私は2002年11月に『出版ニュース・下旬号』に、「貸与権を整備してレンタル・ブックを」を書き、本や雑誌への貸与権の適用を提唱したのです。

これがきっかけで、その後に著作権法が改正されて、本と雑誌にも貸与権が適用されるようになりました。

現在では、本を借りると、その配分が著者等の権利者に行くようになっているのです。

そうした経緯で、近年ツタヤにレンタル・コミックができてきたというわけです。

公共図書館を敵視するのではなく、民間が有料で行う「レンタル本」事業が増ていくことを促進させるべきで、今更公共を規制するなど、時代錯誤以外の何物でもありません。

「民間でできることは民間に」は小泉純一郎から小池百合子に至る新自由主義者も言っているとであります。

『出版ニュース』は、県立図書館にはあると思いますので、ご参考までにぜひお読みいただければ幸いです。

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コメント

  1. 雫石鉄也 より:

    まったく、このおっさんはバカですね。
    こんなバカが出版社の社長だなんて世も末ですな。
    本好きは図書館で借りた本を読むのは、一手段です。図書館で本を借りるから本を買わないということはありません。
    例えば、吉村昭の「破獄」を図書館で借りて読んだら面白かった。「高熱隧道」も読みたいから書店で買って読む。と、いう人が多いと思います。
    図書館は本好きをふやすきっかけを創っているのです。
    ちなみ私は本を図書館で借りて読みません。読む本は必ず買います。期限を切られて本を読むのがいやなのです。
    それに、私も何人か知り合いに作家がいます。彼らの本は必ず新刊書店で買います。ブックオフなど古書店では買いません。そんなとこで本を買っても彼らには1銭もお金が行きません。