『海をわたる友情』『オモニと少年』

コリア・キネマ倶楽部があるのを知ったのは、昨年暮れで、もう5年以上韓国・北朝鮮の映画を上映してきたらしい。
今年は、主に日本映画の中で、韓国・朝鮮人が出てくる作品を特集するとのこと。
文京区のシビック・ホールの中の会議室、30人くらい。
日比谷図書館からの16ミリフィルムによる上映。

映画は、1958年に森園忠監督の『オモニと少年』と、1960年女優望月優子が監督した『海をわたる友情』である。
前者は、常磐炭鉱で父に死なれた少年を隣の屑屋(今の言葉で言えばリサイクル業)の朝鮮人の老婆北林谷栄が引き取り育てるという感動物で、民芸制作の普通の教育映画であり、話題の『フラ・ガール』の50年前の話。

『海をわたる友情』は、望月が映画化を企画し、大島渚によれば、1960年6月15日に彼女は、大島がいた神楽坂の旅館に来て企画を話したそうだ。
場所は、タケシで有名な東京足立区。
飲食店をやっている加藤嘉は朝鮮人で、妻水戸光子は日本人。
兄弟で工場経営者の西村晃がやってきて、北朝鮮に帰国しようと言う。
水戸は反対し、さらに自分は日本人だと信じ、朝鮮人の同級生をいじめていた息子もショックを受けるが、最後は北に帰国するという映画。

今や、1950年代末からの北朝鮮への「帰還運動」は政治的・社会的に誤りであり、その後悲劇的な結末となったことはよく知られている。
しかし、そのことと、こうした運動がある時期に熱狂的に行われたことの意味は違うだろう。
映画の中で、加藤が帰国促進の「映画会」に行くシーンがある。
学校の講堂で北朝鮮のプロパガンダ・ニュースが上映される。北朝鮮得意の、大衆動員の歓迎大集会で迎えられる帰還者の姿が上映される。
多分、日本社会の中で迫害を受けていた彼らは、「一度でいいからああいう風に大歓迎されたい」と思い、帰国したとすればそれはきわめて自然な感情である。
朝鮮学校に転校した少年たちと、日本人生徒との送別の交歓会での、コーラスの盛り上がり方は、戦時中の黒沢明の『一番美しく』、さらに戦後の組合映画『明日を作る人々』と同じ煽情主義的であるが、なかなか上手く演出されている。
望月は戦後の日本映画を代表する大女優だったが、この映画を見る限り監督としてもなかなかなものである。日本映画史上、彼女は坂根田鶴子に次ぐ、2番目の女性映画監督であるはず。その後、左幸子らが出たが。
感じとしては、各社で庶民的映画を撮った久松静児に似ている。
役者としては、加藤、水戸、西村らの他、本間文子、矢野宣らも助演しているが、これは望月の人脈と信用だろう。
望月は、その後社会党から参議院全国区の議員になるが、1期で落選してしまう。
きわめて真面目で、正直な人だったようだ。

カメラが、今井正作品で有名な中尾駿一郎だが、この映画の映像やカッティングの良さは、多分中尾のものだろう。
今井正は、結構カメラマンに煩い人で、「映画『妖婆』での宮川一夫は全く融通の利かない人で大変困った」と書いているが、その今井に評価され、ずっと一緒にやっていたのだから、中尾はたいしたものだったのだろう。中尾の良さを再認識した。

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