『東京ラプソディ』

古賀政男作曲、藤山一郎が歌った大ヒット曲『東京ラプソディ』の映画化であり、大変しゃれた音楽喜劇になっている。
ここに出てくる銀座、九段等の東京は、「モダン都市」東京である。有名なカフェ美松の内部が出てくるのも大変貴重な映像。
昭和10年代にすでに日本の大都市では、今日のような大衆消費社会ができていたことは常識だが、この作品を見ると本当に良く分かる。
戦争と敗戦が大変悲惨だったので、普通戦前は極めて暗く陰惨な時代と捉えがちだが、本当は違う。特に昭和10年頃は、満州事変以後の「軍事景気」の好景気で、様々な文化が花開いた「古き良き時代」だったのである。
現在あるものはすでにほとんどあり、ないのは民間ラジオやテレビ、それにパソコンくらいだろう。

話は、銀座のクリーニング屋の息子藤山が(彼はオートバイで洗濯物をダンスホールに届ける)、アコーディオンと歌が上手いのを女性ジャーナリストに見込まれ、歌手になる。
恋人のタバコ屋の娘・椿澄枝は、彼が自分を見捨てたと思い込むが、最後は誤解と分かり、仲間のダンサー、スキソフォン吹きら4人の友情を取り戻すという青春音楽劇。
この女性ジャーナリストが打ち合わせをする場所は、今話題の銀座の「不二アイス」であり、藤山のデビューを祝い友人らが用意するのがシャンパンであり、椿らは九段の西欧風アパートに住んでいる。
最後、『東京ラプソディ』をPCLの役者たちが、ワンコーラスづつ歌う。
主演の藤山、椿、伊達里子、井深四郎、星玲子らの他、千葉早智子、堤真佐子、御橋公、さらには歌手としても有名だった岸井明は当然としても、なんと藤原鎌足までの総出演。

先日、見た中川三郎とベティ稲田の音楽映画『舗道の囁き』も、当時のモダン都市東京を描いたものだったが、これも同じである。
この時期の幸福感は、戦後も長く記憶され、演劇で言えば加藤道夫の名作『思い出を売る男』に出てくる、恋人たちのフランス映画と音楽への幸福な時の追憶になる。

大変幸福な後味の作品であり、監督の伏水修は自然な演出とモダンなセンスの持ち主だったようだ。
後に、長谷川一夫と李香蘭の大ヒット作『支那の夜』を監督する。いずれ見ることにしよう。

最初のタイトル前に「国民精神総動員」が出るので、この版は昭和11年の公開後の戦中期あたりに再編集し公開されたものに違いない。
なぜなら、「国民精神総動員」は、昭和12年8月第一次近衛内閣で制定された標語だからだ。
フィルム・センター

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コメント

  1. 弓子 より:

    藤山一郎さん、紅白のラストで
    タクトを振る姿が見られなくなりさびしいです。

    岡本太郎画伯と、小学校から同級で
    岡本氏の話しによると
    『ビリが自分、その前が藤山。
    藤山は授業中に編み物ばかりして
    自分は絵ばかり描いていた』

    とジェスチャー入りで笑いを誘ってました。

    ベティ・稲田。 テレビ時代の方でしたか?
    この名前で森光子さんを想いだしました。
    エッセイの中で、この方から歌を習い
    英語の発音を、厳しく徹底的に指導されたそうで

    今の千宗室のご祖母に当たる方が
    不遇時代の森光子さんの面倒を秘書として雇い
    その際に、森さんが
    どんな偉い方にも物おじしないように。
    との配慮から、あらゆる人や場所に連れ添わせたそうです。

    ある日、進駐軍の高級将校を家元宅で招待した際に
    森光子さんが「センチメンタル・ジャニー」を
    英語で披露したら、将校たちが
    口をアングリと開けて聴き入っていたことがあったそうです。

    あの歌は「せ~~ん、めん、じょ!」の要領で歌ったのよ。
    と締めくくってました。

  2. ベティ稲田は、その名の通り日系のアメリカ人女性歌手で、戦前に日本に来た人の一人です。
    あの吉田日出子が『上海バンスキング』で演じた川畑文子に次いで来日した歌手で、本職はダンサーで歌はほとんど素人だった川畑に比べれば大変に上手い歌手でした。
    戦後も、日本にいたと思います。
    ただ、彼女たちのような二世歌手は、本物のアメリカ人が日本でも活躍するようになると意味がなくなったのです。