『その人は遠く』

1963年、日活の堀池清監督で作られた清純作品。美しい親戚の年上の女性芦川いづみを思慕する浪人生山内賢の心情を描くもの。

原作があり、脚本は知らない人だが、多分日活の社員ではないかと思う。堀池は、松竹大船出身で、日活では抒情的な文芸作品を撮ったが、自分のプロを作ってテレビに行ったとのこと。

話は、死んだ父親の姪の芦川の父、つまり山内の父親の京都にいた兄が死に、田園調布の山内の家に来るところから始まる。

彼は、母の小夜福子と二人暮らしで、父が残した資産を切り売りして生活しているとのこと。叔父の下元勉、信欣三らも裕福な暮らしのようだが、結局は財産を基にして生きているようだ。

芦川は、大学の国文科を出ているが、すぐには嫁に行かず、花嫁修業で料理等を習ったりしている。間もなく芦川に縁談が来て、見合いで決まり、その時山内の大学合格も決まるが、東大のようだ。

その芦川の結婚相手が井上昭文と言うのが笑える。彼は非常にまじめな新劇役者で、私はこの人の三好十郎の『炎の人』(滝澤修で有名なゴッホの芝居)を見たことがあるが、ゴッホの真面目さがおかしく見えるという演技で(民芸での滝澤のも見たことがあるが)、井上の方がむしろ滝澤よりも適役に見えたくらいだ。

井上は大阪の大学の文学部の講師で、山内は当然に反感を持つ。翌年の夏休みに大阪の家に行く。すると井上は褌姿で、空手部の学生を面倒見ていて、夜は家で旧制高校生のようなデカンショ宴会をし、芦川は三味線を弾く始末。

東京に帰って、山内は「姉さんは下品になった」と小夜に言う。

小夜は、交通事故で急死し、山内は一人で下宿し、親の遺産で大学に行く。

交通事故のタクシーに乗っていた和泉雅子から山内は惚れられるが、同時に山内の心にはいつも芦川がいるとも指摘される。和泉の家は、旅館だが連れ込み宿で、ついには母親の情夫(玉村駿太朗)から夜に襲われるまでになる。

井上は、実はひどい男で、他に女を作り、芦川の財産を事業に費やしてしまい最後は自殺してしまう。

そして、最後芦川は、九州の高校の先生に赴任し、山内と和泉が東京駅で見送るところでエンド。

1963年、すでに『泥だらけの純情』があり、『男の紋章』や『にっぽん昆虫記』が公開されていた時代だが、こうした清純な映画も公開されていたのである。

因みに併映は、石原裕次郎主演の『太平洋ひとりぼっち」である。

また、この『その人は遠く』は、小津安二郎脚本、田中絹代監督の日活映画『月は上りぬ』が描いたような、戦前は土地などの資産を持って優雅な生活をしていた日本の上流階級が、戦後社会の中で、サラリーマンになっていくことを示唆した作品とも言えるでしょう。

多分、山内は大学を出ればサラリーマンだし、芦川もお嬢さんから女教師になるのだから。

芦川いづみのベストかどうかは多少の疑問はあるとしても(私はやはり『ガラスのジョニー・野獣のように見えて』だと思います)、山内賢のベストではあるでしょう。

КРАСНАЯ СОСНА さん、ありがとう、よく探したらありました。

姫田真佐久の本によれば「まったく憶えていない」とのこと。今村の『にっぽん昆虫記』のスタッフを大塚和が遊ばせてはおけないので急遽やった仕事だそうで、あの今村作品の実験性からみれば、記憶にないのは仕方のないところでしょう。

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コメント

  1. КРАСНАЯ СОСНА より:

    早速 『その人は遠く』 を取り上げていただいて有り難うございました。

    この作品自体はごくごく平凡、若者が美しい年上の女性を愛してしまうというツルゲーネフの「初恋」以来の永遠のテーマで、これも定石通りに物語は展開していき、いづみさんの魅力だけで持っている映画だと途中まで見ていましたが、ラスト2分間に圧倒されました。

    芦川いづみさんの最高作と広言する理由は2点あります。

    一点目は、いづみさんが三味線を弾く場面(「さすらい」様も気に入られたのか、写真を掲載していただいていますね)、こんな官能的で艶めかしく色ぽっくセクシーな彼女を見たことがありません(「いづみちゃん、これ以上男性を悩ませないで!」と言いたくなった)。

    もう一つは件のラストシーン。

    数多くある駅での別れを描いた映画の中でも屈指の名場面(わずか2分間です)で、「愛染かつら」や「君の名は」はなど足元にも及ばない。

    山内賢と和泉雅子が駅にいづみを見送りに(ここで山内と和泉が「二人の銀座」を歌い出すのではないかと思った)。

    列車のデッキから指でOKサインを出すいづみ(この仕草に見ほれて、うっとり)。

    次のアップは大輪の笑みをたたえたいづみ。

    三回目のアップはその満面の笑みから憂いを秘めた表情に変わるいづみ。

    四回目のショットは後ろ姿から横向きになるいづみ。

    五回目のショットはその横向きの姿のまま手の指を見つめ、諦めの表情をするいづみ。

    見事な演出と演技。外国恋愛映画にもこれほど魅力的なシーンはありません。、まさしくこれぞ映画史上NO1のラストシーンだと思います。

    今回の「さすらい」様の記事で新たに知ったことは「井上昭文が非常にまじめな新劇役者」であったこと。
    井上は榎木兵衛などのチンピラ役者と同列ぐらしか思っていませんでした。

    もう一つは裕次郎の『太平洋ひとりぼっち」の併映であったこと。
    当時の日活のシスターは小品ながら、このように見応えのある異色作・野心作が多かったですね。

    「さすらい」様激賞の「硝子のジョニー・野獣のように見えて」は確かに畢生の傑作だと思いますが、作品自体が和泉雅子の「非行少女」のトーンに近いことやいづみさんの演技は余りにもテンションが高すぎ(見ていてこちらが恥ずかしくなるほど)、少し嫌みになりました。

    『その人は遠く』については他のブログにも別のコードネームで同じようなことを読まれるかも知れませんが、小生が自身書いたものを加筆・改作したのもので、盗作ではありませんからご安心下さい。