『「仕事クラブ」の女優たち』

昔、区役所で仕事をしていたとき思ったのは、どうしてボランティアグループは仲が悪いのだろうか、だった。内部でも、外部でもボランテイア同士は、大抵仲が悪い。当時はよくわからなかったが、今はよくわかる。会社などと違い、ボランテイアはお金をもらってやっているわけではないのだから、気にいらない奴とやっていることはないからである。

それは、政治の世界でも同様だと思う。今年、「排除の論理」で、小池百合子が失墜したが、この排除の論理ほどダメなものはない。その反対が、かつて民主党を作った小沢一郎で、多くの意見の違いを乗り越えて一つの党を作った。彼に言わせれば、権力を取れば反対意見は自然と静まるもので、それはいずれ自分たちが主流になると思っているからだそうだ。事実そうで、自民党安部一強体制でも、岸田文雄や石破茂が党を割らないのは、いずれ自分が党首になると思っているからである。

さて、戦前の新劇団も実に離合集散が激しく、どこがどうなっていくのか、私でもよくわからない。この劇で描かれているのは、昭和7年で、劇団新築地と左翼劇場の合同公演があり、その後に、そこにいた女優たちによってマネキンガール、売り子、筆耕など様々な職業がされたときのことである。具体的には、細川ちか子、山本安英、土方梅子、さらに高橋豊子などで、劇には出てこないが土方与志と丸山定夫も重要な人間として劇中の重要な人物として描かれる。

中で面白かったのは、池田と言う若い作家(久保栄のようだが)脚本が警察の検閲でずたずたに削除され、「筋も中身もないのは上演が無意味だ」という意見に対して、土方梅子を思わせる女優が言う言葉である。

「劇を見て、筋がどうとか、中身がどうと言うのはあまり意味のないことで、要は役の持つ姿勢や態度のようなものを客は受け取るのではないか」というものだった。芝居を見て感動しても、残るの大体はそんなものである。

最後、警察の弾圧、分裂等で、クラブも存続できなくなり、皆バラバラになる。その後は、日中戦争から太平洋戦争に突入し、丸山定夫も原爆で死に、築地小劇場も1945年3月10日の東京大空襲で焼失してしまう。

こういう劇に感動するのは、鈴木忠志流に言えば、かつてこう言うことがあったという歴史的事実に感動しているのであり、役者の演技に感動しているのではなく、邪道だということになるが、それほど厳密に演劇をしなくても私は良いと思う。何度もプロレタリアという現在死語の台詞が出てきて参るが、十分に感動的だったと思う。原案・青木笙子、脚本・長田育恵、演出・丹野郁弓 原案の青木さんは、演劇や映画(東映東京)のプロデューサーだった本田延三郎の娘さんだそうだ。

帰りは、いつもの北品川の「ほ志乃」に行くが、なんと今日が営業の最後の日だと言う。

星野夫妻の兄で、一緒にやっていた方が病気になったので、40年間やっていた店を閉めるとのこと。カウンターの隣にいた方は、東京水産大学の生徒の時に来て、その後も数年後ごとに来ていたとのことで、大変にラッキーだったと言っていた。一つ下の学生が、防衛大臣の小野寺五典で、数カ月前に、私もカウンターの隣に一人で飲んでいる小野寺を見た。

時代は変わるのは仕方のないことであると思う。

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