『秋津温泉』について

以前録画してあった吉田喜重監督、岡田まり子(難しい漢字なので出せない)主演の『秋津温泉』を見た。何度目かだが、いわゆる「風俗映画」としてよく出来ていると関心した。
風俗映画というのは、主に芸者や女給等の水商売の女性を主人公とした作品で、豊田四郎の『夫婦善哉』『雪国』『如何なる星の下に』『波影』『甘い汗』、渋谷実の『もず』『霧ある情事』、川島雄三の『花影』、そして吉村公三郎の『夜の河』『夜の蝶』『夜の素顔』など、小説を原作とした文芸映画の系統にあり、その通俗化したものである。昭和30年代に多数作られているが、今見ると歴史的・社会的にとても面白い。

昭和20年夏、文学青年・川本(長門裕之)は、心身とも死と隣り合う状態だったが、岡山から鳥取に疎開に行く途中の秋津温泉で17歳の少女・岡田と会い、生きることを選ぶ。
戦後社会が復興するなかで、次第に長門は俗物化し、結婚し市民生活に埋没していく。
岡田は長門に失望し、最後は二人が以前に心中しようとした川の辺で自殺する。

松竹ヌーベルバーク時代も、また出てからも吉田はメロドラマ的表現を意識して切り捨てているのだが、ここでは逆に通俗メロドラマになることで、ある女性を通して戦後史を描くという稀有な作業に成功している。
岡田も、成瀬巳喜男の大傑作『浮雲』の主人公・高峰秀子が演じた女のように、だめな男について行って結局だめになる女を演じている。『浮雲』では、岡田は森雅之の何人目かの浮気の相手役だったが。脇役の女優がいい。旅館の女中・日高澄子、長門の妻・中村雅子、寺の娘・夏川かおるなど。

この小説自体は藤原審爾の自伝的なものらしいが、大岡昌平の『花影』の主人公(映画では池内淳子が演じた)の自殺の動機がよく分からないように、ここでも本当の動機は良く分からない。

高校時代、この映画を見てきた同級生の女の子同士が、大変いやらしいものを見てきたように話していたことを思い出す。今見ると、岡田の入浴場面だけで全くいやらしいシーンなどないのだが、この主人公の自堕落な生き方が不快だったのだろう。
林光の音楽は抒情的でいいが、少々うるさい。

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コメント

  1. wab より:

    秋津温泉
    高校時代の夏休みにこの映画の舞台になった奥津温泉に行ったことがあるんですよ。ぼくが決めて友だちと4人で。映画を見たわけでもないのに。友だちも、何でこんなところに来てるのかわからなかっただろうし、旅館の仲居さんもわけわかんなかったでしょうね。岡田まり子みたいな人はいませんでした。もちろん。