福田善之を知っていますか 『袴誰れはどこだ』

1960年頃、劇作家福田善之は、演劇を志すもの若者の中で、憧れの的だった。

高校の演劇部の先輩は、彼の芝居『真田風雲録』を見た時の感動を語ったし、私の次姉も見ていて非常に良かったと言っていた。当時、『真田風雲録』を大変に見て驚いたのは井上ひさしで、「自分がやりたいことをやられた」と言っていた。さらに、1960年代中盤以降の小劇場、アングラ劇のリーダーたちも、みな福田の影響を受けている。黒テントの佐藤信は、もともと福田がいた劇団青年芸術劇場にいたのだから当然だが、寺山修司や鈴木忠志らも影響を受けていると思う。それは、アングラ劇が、一種の「モノローグ」であることで、これは福田の劇の特徴で、その良さの一つである、歌や踊りと並び主人公のモノローグの良さがあり、これは後のアングラ劇に取り入れられたものの一つである。

この頃、映画評論家の佐藤忠男さんが書いた劇評に、「この頃の劇を見ると長いモノローグを見せられたという気がする」と書き、非常に的確だなと思った。

さて、劇団俳小の『袴誰れはどこだ』を見て、前半は歌と踊りが目立ち、まるで民青の歌声運動で「参ったなあ」と思う。

農民の貧困を救う「袴誰れ党」を求めて旅するが、袴誰れなどいなくて自分たちがなれば良いと思うのは、当時の日本共産党から別れて、新しい党を目指していた新左翼のことであるのはすぐにわかる。ここは、非常に白けた。この劇は、劇団青年芸術劇場としては、最後の芝居であり、福田の才能の出がらしのようだったなと思う。

だが、最後に皆が本当の袴誰れに会い、結局は彼を殺してしまう。ただ、ここで良いのは、彼の独白であり、これが当時の演劇青年の心をとらえたのだなと思った。

だが、今回の演出の若いシライケイタ君は、そこまで理解していたのだろうか、相当に疑問に思った。

役者としては、役人の斎藤真さんとじいさまの勝山了介さんは別格だったが、男(袴誰れ)の田中壮太朗は、なかなか良かった。

音楽は初演の林光ではないようで、ここは元の音楽を聴きたかった私としては残念だった。

両国シアターX

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