これだから古い映画さがしは止められない 『湖愁』

朝、いろいろな上映を探していると、渋谷のシネマヴェーラの嵯峨三智子特集で、『湖愁』という知らない作品が今日だけ上映される。

学生時代の劇団の1年上の先輩に村上さんと言う広島出身の人がいて、子供のころから子役で芝居をやっていたとのことで、非常に楽しい人だった。東京の人間ではないので、照明のアルバイトをしていて、池袋のキャバレーの照明をやっていた。

「三流だよ、今月のスペシャルゲスト・スターが松島アキラだぜ!」

『湖愁』と言えば、松島君の最大、唯一のヒット曲で、これが映画化されているとは初めて知った。

嵯峨三智子特集で、上映を予定していた作品の状態がひどかったので、急遽変更したのだそうだ。併映は『続・こつまなんきん・お香の巻』で、川崎で見たことがあるが面白かったので、急いで渋谷に向かう。

『湖愁』は、原作川内康範、脚本鈴木兵吾、監督田畠恒夫で、主演は嵯峨三智子と鰐淵晴子、田村高広、宮城千賀子。

行くと、戦時中で列車が空襲で止まり、車内が大混乱。すると、次のシーンは、羽田空港に鰐淵が来て、フランスから帰国し、大歓迎の後、大ホールで天才少女としてヴァイオリンの演奏をしている。鰐淵は、大ヴァイオリニスト鰐淵賢秀の娘なので、きちんと弾いている。そのホールの楽屋に汚い中年の高野真二が来て、鰐淵の側近の峯京子を何やら強請ろうとしている。

峰に追い返されれた高野は、週刊誌社で編集長から金を貰っている。この辺は展開が早く、相当にフィルムが飛んでいるのかと思うとそうではない。

記者の川津祐介が編集長に呼ばれ、鰐淵の周辺を取材しろと命令する。

と、女性金融会社の社長の嵯峨三智子が、融資先の男2人から「返済期限を延期してくれ」との要請を受けているシーンになり、彼女は冷酷に債務者を切り捨てる。その一人は、名作『無法松の一生』で長門裕之の次の学生時代を演じ、当時は松竹にいた川村禾門さんのようだ。

次に川津が来て、嵯峨に鰐淵の公演が出ている新聞写真を見せる。顔色が変わる嵯峨三智子。

次の『続・こつまなんきん』を爆笑で終わり、『湖愁』を頭から見ると、嵯峨が日本舞踊を踊っているが、そこは造船工場で、移動慰問公演で旅劇団が公演している。

団長は松竹の悪役の山路義人、団員には信欣三らがいる。見ている工場次長の田村高広、そこに召集令状が来て、演目中断になり、田村に嵯峨が花束を渡して壮行式。

列車で田村と嵯峨はまた一緒になり、田村は富豪の子らしく、二人は湖畔の別荘に行き、兵営入りまでの5日間を過ごす。婆やは、浦辺粂子。あと2日となった夜、二人は結ばれ、田村は海軍に出征してゆき、母沢村貞子も来る。

戦時中も、嵯峨らは地方への慰問移動公演をしていて、嵯峨の隣には赤んぼの姿。ある日、待ち焦がれた田村からの手紙が来て歓喜するが、そこに沢村が現れて、「台湾沖で死にました」と告げる。ここの沢村の思い詰めた表情が非常に良い。悲嘆にくれる嵯峨が物干し台で泣いたのち、楽屋に戻ると沢村と赤ん坊がいず、雨の中、線路伝いにひた走るが、二人は見つからない。箱根の別荘で沢村は冷酷に告げる、「高宮家(田村の名前)の跡継ぎの子は、旅役者のあなたの許よりも、私の方が良いいに決まっているから私が育てます」と。

だが、戦災で沢村は死に、赤子は浦辺に育てられたが貧困から、繊維会社社長の宮城千賀子のところで育てられ、ヴァイオリンの才能を伸ばされてきたのだ。

川津は、二人の関係は母子とみて、鰐渕を追う。湖で二人は知り合い、良い感じにまで行き、鰐渕は大阪公演(中の島公会堂だろう)に向かう。

一方、嵯峨も大阪に所用で来ているが、「今日はいいことがあるから」と債務者たちにも仏のような態度を取る。

そこに、高橋豊子が突然やってきて、山路の妻だと言う。そして、嵯峨は、山路の愛人になり、戦後落ちぶれた山路に闇市の金持ちだった三国人に売られ、三国人が死んで金融会社社長になったと言い、路頭に迷ってる自分たちのために金をくれと哀願する。

「山路には恨みはあっても恵んでやる金はない、出て行って!」とカーテンを開けると鰐渕が立っている。

中の島公会堂には現れず、疾走した鰐渕。

大騒動になっている音楽業界。東京に川津が戻ると編集長は「記事を!」と言うが川津は拒否する。二人の板挟みで、どちらにも肩入れできなくなったのである。

鰐渕は、宮城千賀子のところ戻ってくるが、宮城は嵯峨と会うことを禁じ、鰐渕も嵯峨とのことは事実無根だとテレビで記者発表する。

それを見た嵯峨は、傷心のもと、かつての湖畔の別荘に来る。高宮家の没落の後、そこは廃墟のようになっている。そして、娘の誕生日毎にそこに来て人形を置いてきたことが表現される。

鰐渕のところに川津が来て言う、

「自分は会社に辞表を出した。ジャーナリスト失格だったから、でも人間としては失格していないよ」そして鰐渕に言う

「音楽がそんなに大事か、お母さんを捨てても!」

次のシーンには、別荘に来ている鰐渕がいる。

鰐淵に向かって嵯峨三智子は言う「私には子供がいたが、2歳の時に死んでしまった」

「お母さん!」

そして二人は硬く抱き合う。

これに泣かないものがいるだろうか!

松竹的母物の傑作だった。

松島アキラは、湖の遊覧船の上で歌う歌手として、ワンシーンの出演だが、終始あのメロディーがバックに低く流されていた。

いきなりなぜ鰐渕が別荘に来られたのか、疑問はあるがそんなことは気にならなかった。

沢村貞子、宮城千賀子、高橋豊子、浦辺粂子らの脇役の上手さ、それに嵯峨三智子と鰐淵晴子がよく似ていることが成功の鍵だと思えた。

田畠という監督は、メロドラマが上手だったようだ。

シネマヴェーラ渋谷

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コメント

  1. 弓子 より:

    こういう映画があること知りませんでした。
    たたづんでいる美男美女のお二人が素敵で
    まるでフランス映画のポスターのようです。

    さすらい日乗さまの解説も乗りにのってらして
     〉これに泣かないものがいるだろうか!
    のところにきたら、もう引き込まれました。(笑)

    鰐淵晴子が活躍していた時期に
    日本人との混血で1番きれいなのは ドイツ人。
    とコメントしてた人がいました。

    川津さんのお人柄は  
    業界にも、一般の方達にもご好評だそうですね。

    松島アキラの「湖愁」 が出はじめ
    まだ、それほどヒットしない時期に
    友人の行動的なお姉さんが
    当時、住んでいた青砥団地まで
    サインをもらいに行ったことありますが
    お母様がでて
    (息子のためにわざわざと来てくださったのね)モードで、
    応対してくれたそうです。