『人生劇場・飛車角』

昨夜は、フィルムセンターで大宝の映画『狂熱の果て』が上映され、見に行きたかったのだが、あまりに寒いので、年寄りの冷や水ならぬ冷風は嫌なので家でDVDを見る。

先日亡くなられた沢島正監督を追悼して『人生劇場・飛車角』を見る。

最初に見たのは、川崎の銀星座で、パチンコ屋の2階にある小さな映画館だった。

1963年のこの映画の大ヒットで、日本映画は、ヤクザ映画時代になるのである。

早稲田田舎者の小説から、ヤクザの飛車角の話を抽出して娯楽ヤクザ映画としたのが、ヒットの理由だろう。

横浜の娼婦おとよの佐久間良子を足ぬけさせて、東京のヤクザ小金一家(加藤嘉)のところに居候していた鶴田浩二の飛車角は、殴り込みに一人で出かけることを志願し、小金一家の子分の宮川・高倉健と行って敵の敵の親分を刺し殺し、刑期7年で前橋刑務所に入っている。

この殴り込みの時、「死ぬときに初めて知り合うとは不思議な因縁だな」と宮川に言うが、これが筋の基になる。

鶴田の隣の房には、間男した女房を殺した男の田中春男が入ってきて、これも刑期は7年である。共に情状酌量の余地はあるとしても、殺人で7年というのは随分と軽い刑期のようなきがするが、戦前の刑法はそんなものだったのだろうか。法律に詳しい本田正美君のコメントが欲しいところである。

小金一家の兄弟分に奈良平一家(水島道太郎)がいて、これは加藤を殺して小金の縄張りを横取りしてしまう。おとよは、小金一家が潰れた後は、酌婦になっていたが、ある日奈良平の子分に河岸で襲われる。

その時、人力車夫に救われ、二人は長屋で住むことになるが、車夫は高倉健だった。そして、鶴田、高倉、佐久間の三角関係になるが、この頃の高倉健は、チャラい男で、その軽さと鶴田の重厚さの対比がよい。高倉の宮川は、いつか小金一家を再興しようとしていて、今は車夫に身を落としているのであるが、おとよに惚れて、暴行のような形でものにしてしまう。

その時、恩赦で刑期が減軽されて飛車角が出獄してくる。

飛車角には、ヤクザの先輩とでも言うべき吉良常の月形龍之介がいて、彼らは飛車角が出入りで殺人をして逃げていた時、偶然青成瓢吉の下宿に吉良常がいて知り合っていたのだが、この月形が非常に良い。

吉良常は、その名の通り三州吉良のヤクザで、吉良の仁吉の子分であったことを誇りにしている古い任侠の男である。

吉良常は、結局できたことは仕方ないとして、吉良の海岸で3人を会わせる。宮川は、斬るなり何でもしてくれ、と飛車角の前に手を突くが、鶴田は許し、おとよを幸せにしろと言う。

宮川は、小金親分を殺したのは、奈良平だと聞き、一人で殴りこんで惨殺される。

それを吉良で聞いた鶴田も、東京に行き、奈良平一家に殴り込む。

こ最後の場面のセットが印象的で、遠くに陸橋があり、こちらから登坂で、鶴田は一人昇りつつ奈良平の子分たちを斬っていくが、惨殺されることを暗示させて終わり、下の空堀のような道ではおと世が嘆いている。

東映のヤクザ映画の特徴について、渡辺武信さんは、「鶴田など東映の俳優には何も考えていない虚無がある」と書いていた。

その通りで鶴田や高田浩二、長谷川一夫らの役者は、マキノ正博、衣笠貞之助、伊藤大輔らの時代劇監督と役者の演技術で、それは歌舞伎の型の演技であり、役者の内面は関係なく、外から見て、そう見えればよいという演技論であるのだ。

極論すれば、外部から見て泣いているように見えれば、役者のが心で喜んで笑っていても、それで良いのである。

鶴田の表情は、素晴らしく、本当に惚れ惚れするのは、私だけではないだろうと思う。

東映で、鶴田、高倉健、藤純子らのやくざ映画が大ヒットしたのは、この会社が歌舞伎的な伝統を強く持っていたからである。

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