記録映画2本

昨日は、宝町にいて記録映画を2本見た。

『スワノセ・第四世界』と『ベトナム戦争』である。1976年と1967年に公開された作品だが、どちらも大々的に上映された作品ではなく、私も、その存在を初めて知った。

『スワノセ・第四世界』は、トカラ列島の諏訪瀬島に住む、地理学者たちの生活を描いたもので、当時のコンミューン、ヒッピー運動が描かれた貴重な映像である。

突如、島にヤマハが来て、レジャー施設を作ろうとし、反対運動が起き、全国からコンミューンの連中が集まって祭りをするが、フル・チンで走り廻る男もいる。1970年代だなと思う。

私は、コンミューンやフリーラブ運動には全く反対である。寺山修司もフリー・ラブを信じていたらしく、『書を捨てよ町に出よ』では、平泉征が「いずれみな一緒の家族になる」と言っていて驚く。子供がいなかった寺山にとって、劇団天井桟敷の連中は子供のようなものだったようだが。

そして、カルフォルニアのバークレーの集会で、詩人ゲイリー・スナイダーが、反ヤマハの演説をする。

この日、監督の上野圭一氏が会場にいて、挨拶された。その内容では、「ゲイリーは反原発と国際公園化を提唱していたが」、これは確かに福島に象徴される原発の問題性と世界遺産の予言だといえないことはない。音楽は日本の太鼓や笛を入れたエキゾシズム的な奇妙なもので、最後タイトルでは、やはり喜多嶋修で、私は一番嫌いなインチキ音楽である。別に内藤洋子と結婚したのが不愉快という理由からではない。

『ベトナム戦争』は、池部良プロダクション作品で、冒頭に池部良指揮と出る。

1967年末に、実際にスタッフは南ベトナムに行き、数か月間各地で撮影したもの。

池部らしく、抒情的な画面が多く、またベトナムの普通の市民の「戦争とは無縁」ののんびりした日常生活も描かれている。

大岡昇平も、フィリピンで南国の夕焼けや海の美しさを書いていたと思うが、ここでも赤い夕焼けは異常に美しい。

これを見ると、南ベトナム政府軍とアメリカ軍は、一般のベトナム市民と無関係に、南べトナム解放民族戦線(べトコン)と戦っているように見えてくる。

まるで、中国国民と無関係に国民政府軍や八路軍と戦っていた旧日本軍のように見えてくる。この辺は、実際に中国や南方で従軍した池部良の実感のように思える。

この作品は、どのように公開されたのか不明で、フィルムは非常にきれいなので、あまり上映されなかったのかもしれない。

また、非常に不思議なのは監督、撮影等のスタッフで、他では聞いたことのない名前の人ばかりである。池部と同時に監督となっている蜷川親博は東宝の助監督だったことはあるらしいが、池部との関係も不明である。

唯一、明らかなのは音楽の團伊玖磨で、いつものように終始鳴っていて、少々うるさい。

フィルムセンター

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