『狂熱の果て』

長い間見たいと思い、見てがっかりする映画は多い。題名が類似してよく間違える蔵原惟義の『狂熱の季節』も、昔見てがっかりしたものだ。

だが、今回公開以後初めて上映された『狂熱の果て』は、感動的だった。

1961年に作られた「六本木族映画」だが、初めの方は、出ている役者が新東宝の若手で、誰が誰か分からず退屈する。主演の藤木孝は、少しひねくれたジャズトランぺッター、女主人公の星輝美の父親は元軍人で、妻の利根はる恵は浮気をしていて、ついに自殺してしまうが、この辺の星の家の感じは、大島渚の『青春残酷物語』の桑野みゆきの家に似ている。

だが、不良たちのリーダー松原禄郎が葉山の別荘に連中を連れていく。

ところが、松原はスポーツカーで老女を撥ね殺してしまい、さらに出てきた老人も崖から突き落としてしまう。この老女が五月藤江というのが泣かせる。

そして葉山での乱交になるが、なんとも盛り上がらない。

踊りが傑作で、だらだらしていてまるで死人のダンス。それに怒って松原は、「アウシュビッツだ」と男女を積重ねたりする。

ついに警察が来て調べられるが、松原は「藤木が犯人で、俺のボートで逃げたのが証拠だ」と言う。

ボートで沖に出た二人は、そこで初めてセックスする。

藤木は逮捕されるが、警察のスキを突き逃亡し、星に会いたいと電話してくる。会うことにしたが、星は110に電話する。

恵比寿駅に来た藤木は逮捕され、星はそれを見ているが、本物のロケで通行人が見ている。

最後、テニスコートに星輝美が来て、二人の男をナイフで刺す。

本当の悪の松原は、ケガ程度のようだったが、悪を自分の手で暴くという作者の意思は明白に見えた。

藤木孝は、言ってみれば冤罪だが、後に監督の山際永三氏は、実際の「冤罪事件」に関わるが、処女作で暗示されていたのは不思議というべきか。

フィルムセンター

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