『夏、南方のローマンス』

木下順二の戯曲『神と人とのあいだ』、1部の『審判』に続く第2部である。
第1部が、東京裁判での指導者たちの、A級戦犯の問題を扱っているのに対して、これはB・C級とされる兵士の戦争責任を扱ったものである。庶民の戦争責任だと言えるだろう。
B・C級戦犯については、1958年のTBSのドラマ『私は貝になりたい』がフランキー堺の主演で大評判となり、流行語になるほどだった。

この劇では、南方の小島で日本軍がスパイ行為と間違えて起こした島民虐殺事件に巻き込まれた兵隊たちが描かれている。
舞台は、都会の小公園で、ある兵士との思い出に耽っている女漫才(桜井明美)とその戦友の兵士の会話から始まり、女の恋人だった男は兵士Fで、現地人との通訳をしたが、杜撰な裁判の手続きから極刑が宣告されていることがわかる。
そこにもう一人の女(中地美佐子)があらわれ、兵士Fの妻で、そこから島での日本軍の統治と戦後の裁判になり、いかに残虐に島民を扱い、戦後はいかにいい加減に占領軍によって刑が定められたかが描かれる。
要は、本当の責任者は上手く罪を逃れ、下級の兵士が罪を被せられたのである。

今更どうだと言いたくもなるが、それより私が強い違和感を抱いたのは、女漫才師である。
女漫才師と言えば、ミス・ワカナを至上とする私にとって桜井明美の、のんびりした台詞はイライラするものだった。
木下順二が、この劇を最初に書いたのは、1970年代なので、ミス・ワカナのCDもなく、東京の女漫才の、大空ヒットの相方の三空・マスミ、都上英二の相方だった東喜美江らをモデルに書いたのだと思う。
パンフによれば、当初木下は、この愛人役を先生にしていたが筆が進まず、山本安英のアドバイスで漫才になったのだそうだ。その時、ミス・ワカナを聞いていれば、もっと弾んだ劇になったのにと思ったのだ。
紀伊国屋サザンシアター

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