『朝やけ血戦場』

1956年の日活の時代劇、原作は村上元三、監督マキノ雅弘。

慶応4年、東北の奥州列藩同盟の長岡城下の河原を膨大な群れの流民の中に武士の大阪志郎と妻の北原三枝が歩いているが、周囲の町人らからは非難の声。なぜ二人が城内から出たのは不明だが、北原は身重である。

その時、遠くの城から火の手が上がり、「落城した」との声。

この上は、長岡から会津に行き、奥州列藩同盟軍に加わろうと大坂と北原は、徒歩で山中を歩く。北原は次第に動けなくなった時、一軒の農家が見つかり、人は不在でそこに二人はやっとの思いで休む。

すると、怪しい一団が家を囲み、首領の河津清三郎が家に入ってきて、「われらは討伐軍の斥候隊だ」といい、大坂とは敵味方になるわけだが、河津はなぜかすぐには二人を殺さない。

一味は、沢村国太郎ら森健二などのマキノ一家。沢村国太郎は、北原の妊娠を見破り、他の者も、河津の命令で大坂らに手を出さずに見守るようにする。中には、武闘派の植村謙二郎もいるが、彼は妻が町人と逃げたので、女性を恨んでいたので、森健二に指摘されて、ついにはその真実を告白し泣いてしまう。若い男で鋭い目つきのがいて誰かと思うと宍戸錠だった。後に『七人の刑事』に出た美川洋一郎も、その一人で、彼は新国劇の俳優だった。

夜になり、今度は会津の先鋒隊が来て、河津らと銃撃戦になるが、ちょうど北原は産気づき、沢村の世話で明け方に男の子を産む。

河津は気づく、この間に会津の本隊が通り過ぎて行ったことを。だが、そこでも河津は銃撃戦には出ず、様子を見ていて最後に語る。

「鳥羽伏見以来8か月、われ等は殺りくに明け暮れてきて人間を忘れていた。それを二人と子供で思い出した。ありがとう、感謝する」

そして、長岡城を落とした東征軍の本隊が川を越えてやってきて、河津清三郎たちは合流する。

1956年、日本が戦争を反省し、反戦平和への思いが最高に建ってしていた時の映画である。

衛星劇場

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