『清水港・代参夢道中』

1940年、日活京都作品で、監督マキノ雅弘、脚本小国英雄。劇場で森の石松の焔魔堂の件が実演されている。

と、演出家の片岡千恵蔵が激怒し、劇場主の志村喬と議論になり、「新機軸をしたい」と言い、怒りの中で眠ってしまう。彼の秘書は、マキノと結婚したばかりの轟夕起子。

片岡が目覚めると、そこは清水港で、片岡は森の石松になっていて、轟は彼の許婚である。

そして、次郎長から金毘羅への代参を命ぜられ、石松は代参の帰りに殺されてしまうと恐れるが、轟が一緒に付いてことになる。

共演者で廣澤虎増がいて、一八番の「三十石船」も二人で演ぜられ、非常に片岡も廣澤も上手い。

そして最後、志村が石松の泊まる宿に来て、家に来てくれと懇願し、その家の貧乏ぶりも笑える。

妻は、美ち奴。村はずれの橋に呼び出されて石松は殺されてしまうが、その時片岡は目覚める。舞台では、新版の『清水港』が演ぜられていて、美ち奴が「ちゃっ切り節」を歌っていてエンド。まるで『バック・ツー・ザ・フューチャー』のようなアイディアに驚く。これを元に先日亡くなられた沢島忠も、中村錦之助主演で『森の石松鬼より怖い』を作っている。

この作品の前に上映された『日活太秦撮影所運動会』は、当時の社長森田佐吉の16ミリフィルムで、森田の他、片岡千恵蔵、永田雅一らも映っている。当時、日活は勢いを失っていて、国の映画法の施行で、最終的には大映にされてしまうのである。だが、ロングで撮られた全景を見ると壮大な撮影所が見えるが、今は京都市太秦中学になっていて、全く存在しないのだ。

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