「人はみなこころ心ですから」 『妻よ薔薇のやうに』

1935年、PCLの成瀬巳喜男監督作品で、キネマ旬報第一位作品。

昔、並木座で見た後、ビデオでは見ているが、スクリーンでみるのは久しぶり。

ここで描かれるのは、当時昭和恐慌を脱して急速に近代化に邁進するモダン都市東京と、そこから取り残されている地方の農村である。

裕福な家庭で女流歌人として活躍する伊藤智子の娘千葉早智子は、丸の内の会社でOLとして生き生きと働いき、恋人の大川平八郎とは結婚の約束をしている。彼女の叔父藤原釜足の家も裕福らしく、妻の細川ちか子は友人とマージャンを楽しみ、藤原は盆栽や義太夫語りを習っている。ここにあるのは、急速にモダン都市として発展しつつある東京に暮らす人たちである。だが、千葉の父の丸山定夫は、伊藤とは長年別居し、山で砂金堀をしている。父を連れ戻そうと、千葉は長野の山中に行く。

そこは、昔ながらの農村で、元芸者で髪結いで、稼ぎのない丸山定夫の生活を支えているのは、英百合子。彼女の娘の堀越節子も、針仕事で母を支えている。

丸山の家からは伊藤のところに毎月仕送りがあったが、それは丸山の稼ぎではなく、英からのものであることを知り、千葉は、丸山と英の愛情とつながりの深さに驚かされる。

丸山は、英の支度で東京に来る。

だが、伊藤が頼まれた仲人役と、大川の父親への挨拶が終わって、丸山は再び山に戻ってゆく。その時、伊藤智子は言う。

「人はみなこころ心ですから・・・」

丸山定夫が東京に来た時、伊藤智子と千葉早智子の3人は、東京の街を歩き、劇場に行き、『鏡獅子』を見て(PCLなので宝塚らしい)、嬉々として見ている伊藤と千葉に対し、丸山は眠っている。ここで表現されている対立は、モダン文化に関心のない丸山と、モダン文化に浸っている伊藤と千葉である。昭和初期が欧米文化への急速な対応を進める中で、取り残される農村とそこに心の安住を見出す丸山定夫や英百合子一家が的確に描かれている。

伊藤は、優れた歌人らしいが、家事には無関心で、

「こうした態度では、父親は愛情深い英百合子のもとに戻った方が幸せだ、母の負けだ」と千葉は思う。

成瀬巳喜男が、意外にも時代の推移を鋭く描いているのであることがわかる作品である。

上映の前に、藤本真澄が主催していた、五所平之助、成瀬巳喜男、千葉早智子、忍節子らのグループが、幸手の権現堂に花見に行く8ミリ・フィルムのブローアップ版が上映された。

五所や成瀬が嬉々として戯れている姿が見えるが、やはり千葉早智子の美貌が光る。

長瀬記念ホール OZU

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