『柳生武芸帳』

1957年、今話題の「週刊新潮」に連載されていた五味康祐原作のベストセラー小説の映画化。

監督稲垣浩、脚本も稲垣と『ゴジラ』の木村武。

私は、兄に連れられて池上劇場で小学4年で見ているのだが、極めてよく憶えているのは、忍者の親分東野英次郎の異様な風体。

さらに、女になるために、扇雀が口に刃を入れられて歯を変えてしまうところ。

女に変装するのに、歯型を変える必要があるのか、今回見ても理解できなかったが、刀で刃を切り取られるというのは、非常に怖かったことを憶えている。フロイド風に言えば、少年の去勢への恐怖となるのだろうか。

話は、皇室や幕府の安泰をも揺るがしかねないという武芸帖が、柳生一族(大河内伝次郎、戸上丈太郎)、松平伊豆(小堀明男)、霞兄弟(三船敏郎、鶴田浩二)、竜造寺家(久我美子、土屋嘉男)らが次々と争うというもの。

次から次へと展開するので、筋は少々わかりにくい。前に続編もBSで放映されたので見たが、結局武芸帖の謎はわからない。娯楽冒険ものの作品の核心は、結局なんだかわからないことが多く、それでも映画は成立するのである。

ただ、最後忍者の三船敏郎が姫様の久我美子に恋した末に結ばれるらしく、その時武芸帖は川に流れてしまうのは、きわめて戦後的な風景のように思える。

これは、言ってみれば武芸帖という「三種の神器」の争奪戦の挙句に、身分を超えて男女が結ばれるというのは、当時の皇太子と美智子様のご成婚、現天皇と皇后のことのように思えるからだ。

なぜなら、原作の五味康祐は、戦前は保田與重郎の『日本浪漫派』にいた若者であるからで、彼は意外にも正統的な文学者なのだからである。言わば正統派右翼から見た、現天皇の成婚についての見方とも言えなくもないからである。

つまり、「身分や神器など、どうでもよい、好きな男女が結ばれるべきだ、それが戦後の現在の日本なのだ」と五味は冷笑的に言っているのではないだろうか。

伊福部昭の荘重な音楽がいい。1957年、日本映画が一番観客動員数が多かった時の娯楽時代劇である。

上映の前に、撮影風景を8ミリで撮影したフィルムの上映があった。屋外のロケショーン先は、西伊豆であるようだ。稲垣浩監督の他、三船、鶴田、久我らの顔が見えた。

国立映画アーカイブ

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