青山実験工房・第1回公演 

実験工房というのは、1950年代に日本のシュールアリズムの開祖・滝口修造の下に、園田高広、秋山邦晴、武満徹など様々なジャンルの芸術家が集まって前衛的な活動をした集団である。滝口は、実は映画界と関係が深く、PCLに入ってスクリプターの草分けでもあった。

そうした、映像、音楽、文学、美術等が総合された芸術である映画界にいたことが、戦後にジャンルを超えた芸術グループを作った理由だと思う。

さて、今回は能と前衛音楽のコラボレーションで、制作の斎藤朋君からご案内を頂いたので、私には相応しくない、おしゃれな街青山に行く。

4つのプログラムがあったが、私が行ったのは、「サティ00能」で、前衛・サティと伝統・能である。

まず、高橋アキのピアノで、エリック・サティのピアノ曲と彼の詩の朗読。

今回初めて実際のピアノの演奏でサティを聞いたが、結構世俗的というか、大衆音楽的だなと思った。それは、12音楽のドイツのシェーンベルグが、実はキャバレーで演奏をしていて、相当に通俗的な響きが聞こえるのとよく似ていると思う。高橋の解説によれば、サティは、当時の後期ロマン派の大げさな音楽の時代にあって、簡潔で洒落た音楽を作ったとのことだが、それはポピュラー音楽的だったとも言えるのではないか。

休憩後は、サティが書いたという喜劇『メドゥーサの罠』、翻訳は秋山邦晴で、演出と主人公は、能の清水寛二、舞踏の武内靖彦、オペラの大槻孝、黒テントにいた滝本直子、女優のドルニオク綾乃(自然で可愛らしかった)ら。

私は、芝居に関しては吉本隆明が言った、「劇的言語帯は、物語言語帯の上に成立する」という説に賛成なので、全体として筋が理解できない劇の上にドラマはないと思う。

こういう多様な才能を集めて作品を作るには、斎藤朋君がいた会社ステーションの社長だった故田村光男のような、レベルの高い「理解力」があって、出演者に有無を言わせない「腕力」のある演出が必要なのだと思った。

今回の成果にめげず、また奢ることなく数を重ねることを大いに期待したい。

銕仙会能楽研修所

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